ロボピッチャー・かとうたかおのweblog
「学校の77不思議からの脱出」の企画が動き出したのは去年の春で、代々木にあるSCRAPの事務所にヨーロッパ企画の上田君と酒井君が打ち合わせにやってきてくれた。
僕はそもそも彼らの演劇公演である「ギョエー!旧校舎の77不思議」という作品が大好きで、あの作品の持つ膨大なエネルギーと、そのエネルギーが小さな怪異の集積から生まれていることに強い憧れみたいなものを持っていた。
怪異とは本来そこにあるような当たり前のことであってはならず、物理法則を無視した不可解なことでなくてはならないはずなのに、ヨーロッパ企画の舞台上では滑稽かつ驚くべき怪異が縦横無尽に闊歩し、それらは特別なテクノロジーとは無縁で、ただただアイデアのみで構成されたすばらしい怪異たちだった。
いつかあんなものを作ってみたいとこっそり思っていたわけではなかったのだけど、ある時ふと思いついたあるアイデアとヨーロッパ企画の「ギョエー!旧校舎の77不思議」がぴたりとくっついて、むくむくとこのゲームが勝手に僕の頭の中で形になっていった。
人間も年を重ねてくると、少しずつ静かな場所を好むようになる。
僕はもともと若い時からそこまで騒々しい場所が好きだったわけではないけれど、それでも
今よりは騒がしい場所にウキウキと出かけていく回数は多かった。
最近はなるべく静かな場所に身を置きたいし、聴く音楽の質も静かなものに変わってきたし、歌舞伎町タワーの中にあるテクノ居酒屋みたいな場所ではビールを一杯飲み終わる前に頭の奥がじわじわと痛くなってくる。
世の中に溢れる刺激にちょっと身体が対応できなくなりつつあるというか、どうもそれが身の丈に合わない痛みのようなものに思えてくる。
リアル脱出ゲームにおいて、流ちょうに語り掛けてくる司会や、くるくると回る照明も、迫力のある映像も、チェックポイントで起こる驚くべき演出も、どれもこれもすばらしい熱狂を生むもので、その発展をうれしく思っていたし、誇らしく思ってすらいた。
でもふと自分の好みが少しずつ静謐なものに向かっていくことに気づいた時に、この感じを謎解きの中に組み込めないのかなあと思った。
例えばそれは静かな図書館でひっそりと調べ物をするときに生まれる心の動きだったり、何もない場所をじっと見つめていてふと気づく違和感のようなものだったり、当たり前のものが当たり前でないことに気づいた時の急に不安になるようなあの感じ。
そんなものを謎解きの世界にうまく持ち込めないかなあと思っていた時に、突然ヨーロッパ企画の「ギョエー!旧校舎の77不思議」が結びついた。
そうだ。
旧校舎を作ってしまえばいい。
そこには図書室があって、理科室があって、保健室だってある。
人気のないその場所で僕らは違和感を探す。
一見なんでもなく見える旧校舎。ただの古ぼけた木造の建物。まるでなにかが棲みついているようだけど、姿は見えない。気配はする。不思議な物音もする。でも姿は見えない。
なぜかあなたはその場所に来たことがあるような気がする。
ここはいつか思い描いた不思議な場所。
かつてたくさんの生徒たちが学んだ喧騒が壁や机に沁みこんで、それがかえって今ある静寂を強めているように思える。
目を凝らすとみつかる様々な違和感。怪異。
最新式のテクノロジーが必要ないことはヨーロッパ企画から学んでいた。
必要なのはアイデアと「それがそこにあるべき理由」だけだ。
つまり、僕はその学校があるための特別な物語を必要としていた。
去年の春、上田君と酒井君と話しながら、たくさんの怪異について話し、ギョエーを作るときの苦労話を聞き、じゃあ制作をはじめてみましょうと合意して、長い長い期間僕らは会議をして、嘘みたいな量のラインのやり取りをして、なぜだろう18ヵ月も時間があったはずなのに、最終的に「今晩中に脚本が仕上がらないともう撮影できない!」ってところまで追い詰められた。それが誰のせいだったのかは諸説ある。時空をゆがめる怪異がいたのかもしれない。
出来上がったゲームは、僕が想像していたよりも少しカラフルになった。
物語がすばらしいからだ。
そしてヨーロッパ企画の面々が登場する映像がとてつもなく芳醇にその世界を深めてくれているからだ。
それでもやはり、ぎゃっと声を上げて驚くようなシーンはないし、興奮して拍手をしたくなるシーンもない。この学校の中にある言葉は、あなただけに向けて小さな声で語られて、たくさんの怪異たちはあなたにみつけられるのをひっそりとただ静かに学校の埃の中で待ち望んでいる。
さて、あなたはこう思っただろうか?
それはなんて地味なゲームで、面白みに書けるのだろうと。
静かな場所を歩き回り、ただの間違い探しをするだけなんじゃないかと。
でももちろんそんなことはない。
そのただの「間違い探し」は精密さを極め、さらに物語と複雑に絡み合い、ひどくしっとりとした熱狂を生み出す。
図書館の隅っこで見つけた書き込みから、ミッシングリンクが繋がっていく。
別々に存在していた意味のないものが、繋がることで意味を成し、あなたの感情は大きく揺さぶられるだろう。
全6章の壮大な物語を体感できるゲームを作った。
このゲームには制限時間はない。
怪異渦巻く旧校舎の中で、自由に動き回り、隠された物語を導き出し、時には食堂で揚げパンとコーヒー牛乳を飲み(これがとんでもなく本当においしいのです!)そして霊と愉快な会話を交わすことができる。
あなたのペースで。あなたのやり方で。
そんなゲームを僕らは作った。
作れたことを誇らしく思うし、やってやったなと思っている。
長い長い期間一緒に走ってくれたヨーロッパ企画の酒井君と、黒幕となって酒井君を支えてくれていた上田君に大きな感謝を。あなたたちがいなくてはこのゲームは影も形もなかっただろう。
ヨーロッパ企画のみなさま。本当にご迷惑をおかけしました。映像撮影チームのみなさまには本当に心からの謝罪と感謝を。まだ続きます。引き続きよろしくお願いします。
このゲームを制作してくれたSCRAPのチームは大変だったと思う。まったく前例のない戦いに身を置き、わがままで日和見なディレクターのアイデアを形にするために奔走してくれた。ありがとう
SCRAP美術チームはおそらく世界でも有数の謎解きの美術を作るチームだろう。旧校舎が新宿のビルの三階に出来上がるなんて誰が想像できただろうか。完璧な仕事だったと思います。本当にありがとう。
一年半にわたって一緒にアイデアを出し続けてくれたクリエイティブチームは膨大な時間をこのプロジェクトに費やさざるを得なかった。本当に本当にお世話になりました。出来上がったものを見て誇らしく思ってくれていたらよいのだけど。
TMCのスタッフの運営能力は目を見張るものがあった。きっとこれからやってくるお客さんたちが得る深い満足は彼らの卓越した仕事ぶりのおかげってことになるだろう。
クラウドファンディングに協力してくれたたくさんの人たちもありがとう。自分たちが作っているものを楽しみにしている人たちの存在が、僕らをずっと励ましていました。
この物語は全6章でまだ始まったばかり。
今はまだ1,2章だけが公開されている。
入れない場所もあり、解けない謎もたくさん隠されている。
そういうのを見つめながら未来に心を馳せて楽しみにしてくれたら望外の喜びです。
未来に楽しみができるのは、生きていく喜びの一つになるから。
どうか1人でもたくさんの人たちがこのすばらしいゲームを遊んでくれますように。
それは静かな熱狂を生む謎解きゲームで、本当の意味で物語に没入できるゲームで、今この世界にこれよりおもしろいものは一つも存在しない!と少なくとも僕だけはこっそりと信じているのです。
https://realdgame.jp/s/77fushigi/
SCRAP 加藤隆生
17年ぶりにアルバムを発売するってどんな気持ちになるんだろうと思いながら今日を待っていたのですが
17年ぶりにアルバムを発売した人にしかわからない気持ちになったので形容のしようがない。
誇らしいような恥ずかしいような突き進みたいような立ち止まって考えてみたいような。
17年ぶりのアルバムとはいうものの、レコーディングしたのは14年前とかでして。
当時のロボピッチャーといえば、3枚のミニアルバムを発売して、1枚のフルアルバムを発売して
その結果として、レコード会社、レーベル、音楽事務所などの契約がすべてなくなって
さてとこれから一体俺たちはどうしていくんだ?ってなってました。
そんな気持ちの中でこのアルバムは作られました。
CDにしてくれる人が誰もいなかったので、配信のみで発売されました。
結果としてそれが功を奏して、JASRACに登録していなかったので自由に使えるってことで
リアル脱出ゲームのエンディングとかでアルバムの一曲目である「限りある世界で」が使われまくることになりました。
おそらく僕が作った曲の中でもっともたくさんの人に聴かれた曲であろうよ。
この頃の自分が一体何を考えていたのかもうはっきり覚えていない。
死にたくなるような不安感と、俺は絶対誰かにどこかで必要とされているという根拠のない自信を
行ったり来たりしながら生きていたんだと思う。
音楽家としてはもう最後通告というか結果が出ていて
「お前はもう才能がないんだよ」って世界中から言われたような気がしていた。
たくさんの人たちが関わってくれたロボピッチャープロジェクトという一つの祭りが終わろうとしていて。
少しずつみんなが離れていって、申し訳なさそうな顔しながら離れていく人も
ざまあみろ!って感じで離れていく人もいて、この人たちの顔を全員覚えておこうと思ったのを覚えている。
良い音楽って難しいですよね。
周りにはまだ絶賛してくれるお客さんもいて、ライブをすれば一番前の席で泣いている女の子とかがいて、
自分でも自分の書く曲がどう考えても世界で一番かっこいいと思っていて
それでもただたった一つの問題が「ファンが増えない」ってことで。
ファンが増えないといっても、僕らの常識からいえばすごいたくさんのお客さんが来ていて
何千人っていう人がロボピッチャーのCDを聴いてくれて
でもそれじゃビジネスにはならないといわれ続けて、一体どうすればいいのかさっぱりわかんないときの僕がこのアルバムの中に閉じ込められています。
このアルバムには切り裂くような強い言葉は使われていない。
可能な限り早く生きて、可能な限り早く別の意味になってやりたかったこれまでのアルバムとは違って
その場所で立ち止まって、これからどうしようかを逡巡する30前半の不完全な男子が焼き付けられている。
だから僕は手紙を破り捨てて
世界に限りがあることを悟り
死んでしまったパンダーマンに売れない言い訳をして
愛されない自分たちをタングラムに見立てて
質問を繰り返し続けた。
ここで立ち止まったからリアル脱出ゲームが生まれたというのはたぶん言い過ぎではなく、
ひたすらカルトローカルヒーローであろうとし続けた僕が、
(いやあるいはそれしか目指せなかったのだろうけれど)
身近なイベント、身近な言葉、身近な企画以外のものを手にしようとする直前の屈伸がここにある。
いやちょっと待て。
CD発売の宣伝のためのblogで何を独り言を書き続けてるんだ俺は。
年を取ると話が長くなっていけない。
まあどうぞ聴いてみてください。
あなたの人生に寄り添うような一曲があればいいのですが。
僕の人生の交差点的な作品として、もうCDの中にはふんだんに謎を盛り込みました。
音楽と謎は別だよとか言ってた自分よ消え去れ!
俺が作ったもんだから恥ずかしげもなくごった煮に合わせてお届けします。
謎を作ってくれたのは熱烈マングースのチェロでも同じに山本渉です!
一万人の前で司会をした翌週のライブに30人しかお客さんが来なかったり
年間100万人お客さんが来るのにライブは年間200人も来なかったり
音楽の告知をするときはTwitterのいいねもほとんどつかなかったり
「なんで加藤さんって音楽やってるんだろね?」などと陰口叩かれてるであろうことも知りつつ
それでもやっぱり「もうやめよう」とは思わないのは
今に至ってもやはり僕は僕のつくる曲が世界で一番すごいと信じて疑ってはいないし
その世界一すごい曲をさらにすごくしてくれるのはロボピッチャーのメンバーであることはもう自明の理であり
ロボピッチャーのことを好きだと言ってくれる人は世界一センスのいい人であることを
ほんの一ミリも疑ってなどいないからです。
このアルバムを出すためにたくさんの人たちに協力してもらいました。
すばらしいジャケットを作ってくれた白木さん。
「これはCDにして出すべきだ!」と言ってくれ、最後まで責任をもって進めてくれた飯田君。
SCRAPのグッズとして出すために手を動かしてくれた津田さん。
宣伝を率先してやってくれた横供さん。
その他さまざまな大変なことをやってくれたSCRAPのみなさま。
謎を作ってくれた山本君。
僕に音楽を続けることを許してくれている熱烈マングースのみんな。
いつも適切なタイミングで励ましてくれる家族。
大きな棚に並べてくれたタワーレコードのみなさま。
泥酔しながらも「加藤さんは結局音楽を続けるしかないんですよ」と言ってくれた日テレの依田さん。
販売&宣伝してくれているリアル脱出ゲームの店舗のみなさま
CDを印刷してくれた印刷会社の方。
CDを運んでくれた運送会社の方。
一体どれだけの人たちのおかげで僕らが今こうしていられるのだろうと思います。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう以上の「ありがとう的な言葉」を知っていたらそれを使いたいのだけど
ありがとうしか知らないからありがとうと言います。
ありがとう。
とてつもなく特別なアルバムになりました。
どうか聴いてみてください。
もしめちゃくちゃいいと思ったならSNSで感想などつぶやいてやってくれ。
ロボピッチャーのことを想ったあなたの言葉をちゃんと見つけ出します。
では長く長く長くなってしまいましたが、聴いてやってください。
購入はこちら!
https://www.scrapgoods.jp/c/robopitcher/SCR-03-2477
謎はないけどサブスクで聴くならばこちらから!
https://linkco.re/erPHhNz0
そしてレコ発ライブも行います!
ロボピッチャーライブバンドです!
アルバムを聴いて少しでも良いと思ってくれたならライブはもうめちゃくちゃかっこいいです!
京都磔磔 4月29日(土)19:00
下北沢BASEMENT BAR 5月21日(日)12:30
詳細&チケット予約はこちらから! http://robopitcher.com/live/live.html
17年ぶりのアルバム発売に緊張してます。
とにかく1人でもたくさんの人たちに聴いてもらいたい!
そしてたくさんの感想も聞いてみたいです!
それでは!
ロボピッチャー 加藤隆生
あの時を境に自分の人生が方向性を変えたなあっていう年がいくつかあって。
例えば2007年なんかは僕の人生がガラッと変わり始めた年です。その年にリアル脱出ゲームを思いついた。
2022年もひょっとしたら後から思い返すと「人生のターニングポイントだったなあ」と思うかもしれない年だった。
まず端的にいうと生と死があった。
父が死去し、三人目の子供が生まれた。
48歳にして子供が生まれたのは良いことのような気もするし、絶望的に不安定な気もする。
まあ隣で眠っている危うくも尊い存在に励まされたりもするので今のところいいんだろう。
がんばって筋トレなどをしているのも、この男子が中学生の時に家庭内暴力をふるったときに
父の威厳(筋肉)でねじ伏せたいという気持ちが少しはあるのかもしれない。
口喧嘩で負ける気はしないが、いきり立った男子が立ち向かってきたときに吹き飛ばされない力は欲しい。
彼が成人する時に自分が68歳になっている件に関しては目を覆いたくもなるけれど
二十歳にして道に迷う彼に(おれの子だ。間違いなく迷うだろう)なんらかの方向性くらいは
示せるように矍鑠としていたいものである。
矍鑠(かくしゃく)ってこんな難しい漢字だったんだな。知らなかった。
日常生活ではよく使う印象だけど、普通は使わないのかな。
父の死は結構深く様々なことを思わせた。
まだ上の世代が身近にいるという安心感がなくなり、最後の防波堤が突破されたぞー!
いよいよ次死ぬのはお前だぞー!って言われてるような気持にもなった。
母は健在で毎日プールで泳いでるらしいから、まだ防波堤の片翼は健在なのだが
だからといって安閑としていられるわけでもない。
自分の人生での積み残しはないのかと考えざるを得なかった。
リアル脱出ゲームでいえば「びっくり謎射的場からの脱出」と「大雪山に潜む刺青囚人からの脱出」の二つを作った。
前者は一つのコンセプトだけで引っ張り切った快作。射的が嫌いな人は嫌いだろうけど、
タイトルに射的って書いてあるから嫌いな人は来ないだろう。
そして射的が好きな人か好きでも嫌いでもない人には刺さるだろう物をつくった。
こういうワンアイデアで突っ切るものをもっと作りたい。
後者の作品は楽しんで作った。たくさんの人たちに協力してもらいながら気楽に作った気がする。
原作が持つ力を素直に受け取ったらこんな形になった。最後はごり押しで僕っぽさが入っています。
2022年は久しぶりにたくさん本を読んだ。
過去の名作ミステリーをきちんと読んでみて、『十角館の殺人』や『殺戮にいたる病』がとてつもなく面白いことを知った。
もっと早く読んでおけよ俺。ばか。
SCRAPミステリー研究会というのを作って、毎月課題図書を決めて、読み終わったら飲みながら感想会をするんだけど、
それがとてつもなく楽しくて、自分の気持ちをリアルで共有することの大切さを思いしった。
この楽しさは次につながる大切な楽しさだと思う。絶えず意識して生きていこう。
他に面白かった小説は『われら闇より天を見る』『本と鍵の季節』『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』『新世界より』『荒野へ』『かがみの孤城』など。
おもしろかったマンガは『女の園の星』『大宰相』『ゴールデンカムイ』『ワンピース』『チェンソーマン』『イチジョウ』『薬屋のひとりごと』『BLUE GIANT EXPLORER』(映画楽しみですね)『グラゼニ』などなどー。
ゲームはあんまりできなかったな。
チュニックは面白かった。あとはぷよ将棋で詰将棋をひたすらやっていた印象。
おもしろいゲームにはまりたい。
SCRAPとしては『絶体絶命ワンダーランドからの脱出』と『DETECTIVE X CASE FILE #1 御仏の殺人』が作れた年だった。
名作なのでまだの方はぜひやってください。
その他は『追憶のハロウィンからの脱出』『HOTELブルーローズの99の部屋』などを完成させられたことは未来に必ずつながっていくと思う。
望んだ以上の楽しさがあり、それゆえの悲しみも感じた年だった。
酔っぱらった帰り道に、喜びと悲しみの間くらいでいろんなことを思いついた。
それはたぶん必要な感情だったんだろう。必要のない感情なんてないのかもな。
意外と音楽活動もがんばった。
ロボピッチャーも復活したし!今年もライブするので来てくださいね。
<ロボピッチャー 詳細未定>
●2023年4月29日(土)
京都 磔磔
●2023年5月21日(日)
東京 下北沢 Basement Bar
熱烈マングースのライブもちゃんとやりきった。
止まるのがもう怖いんだと思う。無理なくやれるところまではコツコツ続けようと思っています。
ライブのたびに新曲を作れるからうれしいし楽しい。
新曲は自分がある一定の時間を過ごした証みたいなものだから、生まれるたびに無上の喜びを感じている。
あと、ラジオをすごく聴いた!
オールナイトニッポンのサブスクに入って、オードリーとくりぃむしちゅーのラジオを狂ったように聴いていた。
僕がちゃんと毎週聞いていたラジオはウッチャンナンチャンとか大槻ケンヂとかだから
もう30年ぶりくらいにラジオにはまっている。移動時間がすべて最高の時間になります。
2022年でわかったことは、今のままを続けていたら確実に廃れていくってことだ。
これまでもずっとわかってた。今までにないものをつくることが僕らのすべきことだと知っていた。
でもコロナの猛威の中で一瞬心の中に入り込んだ悪魔みたいなやつに気をとられて
なるべく外さない、なるべく誰しも楽しめるものばかりを作ろうとしていなかっただろうか。
エンターテインメントの根幹を揺るがすような何かをいつでも作れるように。
今すでにあるものをすべて憎むように。
今あるものに満足せず、ただ何がないのかについて考え続けるようにしなくては
僕らはもうあと数年後にはいなくなっているだろう。
新しい価値を生み続けることをやめてはいけない。その歩みこそが価値になっていくのだから。
今年の抱負はなるべくたくさんのことを楽しめるようになること。
深く考えずに軽やかに快楽を摂取していくこと。
そしてその当然の帰結として、人類史上なかったようなアウトプットを出し続けること。
そんなところです。
酔っぱらって文章書くと長くなりますね。
今年はもう少し気楽に文章を書く機会が増えたらいいけど。
今更blogがんばるってのもどうなんかな。かといって俺が急にTikTokがんばりだしても噴飯だろうしな。
旧年中はお世話になりました。
我々のこと(我々のつくったもの)を少しでも好きでいてくださるみなさまのおかげでなんとか生き延びました。
せっかくいただいた生なので大切に使おうと思います。
結局のところ僕らにできることは、目を凝らして世界を見て、体の中に充満する退屈をかき集めて
「今何があれば楽しいだろうか?」を考え続け、それを現出せしめることだけです。
やってやるさ。世界中から退屈を消してやる。
そしたら暇な奴らがやってる戦争なんかすぐ消し飛んでしまうだろう。
遊びがいかに偉大であるかを知らしめる年にするか。2023。
そんなこんなで今年もよろしくお願いいたします。
加藤隆生
夏が終わりそうでビビっている。
急激に始まって急激に終わるな今年の夏は。いや、夏なんて毎年そんなもんか。
季節が4つあって、一年が12ヵ月なら一つの季節は3ヵ月ってことになるか。
6,7,8月が夏なのだとして、なかなか得難い体験をした夏だったので夏について書く。
まず6月に父が死んだ。
それは前回のブログにも書いた。
ブログて。
まだブログなんて言う言葉が残ってるのか。なんの影響力を持ってるのか。
とはいえ今更TikTokで父の死を発表するのも変な気がするので、まあブログですな。しかたない。
父の死については前回も書いたけれど想像よりもうんとしょんぼりした。
たぶんまだしょんぼりが残ってる。
さすがに47歳にもなってまだ父の死にしょんぼりしてると書くと恥ずかしいから書かないけれど、まだ少しだけしょんぼりしてる。
少しだけだよ。
で、7月に三人目の子供が産まれた。
子供が産まれるってすごいな。
昨日までいなかった人間が今日はいるんだもんな。
毎日泣いていやがる。
そんなに泣き続けるほど世界は悲しいか。
まあそうかもな。今のうちに一生分泣いておくのも手かもしれんな。
6月に死があり、7月に生誕があり、8月は何があるんだろうと思っていたら自転車が盗まれた。
6年くらい乗っていた愛着のある自転車だったのでこれも結構心をえぐられた。かなしかった。
まあそんな風に夏が過ぎていった。
相変わらずコロナはそばにいて、相変わらず15年前に作ったゲームは人々を喜ばせたい悔しがらせたり。
たくさんの人と飲んだり話したりしたけれど、どうしてもそれ以外の人生のごたごたが、人々との会話や邂逅を濁らせていたかもしれない。
さて、三人の子供の父となった。
僕が君らをどれくらい愛しているか書いておいたほうがいいだろうか。
いや、それは日々コツコツと伝えていったほうがいいな。
毎日社員にやってることだ。たやすい。
大人になってこの日記を見て、もし僕からの愛が足りていなかったと思ったなら、
まっすぐな目で僕にそれを伝えてくれればいい。
僕もまっすぐな目で応えるよ。
愛なんか少しも信じちゃいないし、永遠なんかに思いを馳せるのはくそくらえだと。
ただ、今隣にあるぬくもりだけを信じなさいねと。
その時隣に俺もいられたら、うれしいけれど。
「ねえパパがまたゲームしてるよ」と子供たちが言う。
「それもパパの仕事なのよ」と妻が言う。
そうだよ、という顔で僕はスマホから目を離さない。
でも、実は大半が仕事とは関係ないゲームなんだ。すまん。
さあ、この不誠実さが世界を変えるエンターテインメントを生むのだと、僕は信じて疑わない。
そうして、夏の終わりにイモータリティをし続けた父でした。
俺がいつか作るものが、君たちすら感動させられたらどんなにいいだろうと思ってる。
そんな夢を見ながら、今日も企画書を書いてるよ。
また未来で会おう。
じゃね。
父が他界しまして。
おおよその人には訪れるであろう人生の悲劇的イベントについて、
いまいちきちんと想像できておらず
受け身をとれないまま迎えてしまって
想像していたよりもこんなにかなしいんだなと衝撃を受けた。
僕は父と暮らしたのは大体10歳までで。
物心ついてからでいえば5年くらいしか一緒に暮らしていない。
37年くらい別々に暮らしていた人に対して自分がどんな感情を持てばいいのか
ちゃんと結論を出せていなかったように思う。
別々に暮らしていたとはいえ、月に一回くらいは会っていた。
特に何かを話し込むでもないけれどそっとそばにいて、
最近読んだ本の話をしたり、パチンコに一緒に行ったり
家で映画を観たり、一緒にドラクエやトルネコの冒険をしてた。
カードゲームが強くて、花札やトランプを教えてもらったり
でも麻雀は「レベルが違いすぎてやる気がしない」という理由で教えてもらえなかった。
教えておいてくれよ、そこは。
父は世の中のほとんどの当時の父親とは違って
ジャンクなエンターテインメントを積極的に摂取する人で。
僕が小学生の時に「最近始まったこの漫画は面白いぞ!」
とあだち充の「タッチ」の一巻を買って帰ってきたりした。
家には漫画や小説がたくさんあって、ゲームをすることもそこまで反対されなかった。
酔うとやらかす人で。
数々の失敗談がある。
子供のころは父が飲み始めると暗い気持ちになった。
人が変わったように話し始めて、その話はどこに着地するのかまったくわからなかった。
通夜の席でもみんな父と飲んだ時のひどい話をしてたな。
派手な人ではなかった。
完璧に誠実な人だったわけではないが、人生に対してまっすぐであろうとしてたんだとは思う。
彼の最大の功績は、30代になっても無職でふらふらと音楽をやっていた長男に
「おい!おまえなにやってんだ!就職しろ!」的なことを一切言わなかったことだ笑。
父から、人生の指南を受けた覚えはない。
いろんなエピソードや、いろんな話はしたけれど
「こういう風に生きるべきだ」という話を強く言われたことはない。
けなすためのボキャブラリーは豊富だけど、ほめる言葉は少なくて、あんまり褒められたことはない。
あらゆる種類のけなし言葉を言われたけれど、たいして傷ついた記憶がないのは
それが本心から言われたわけじゃないとわかってたからなのかもしれない。
父が僕のことをどう思ってたのかはよくわからんな。
アドバイスしてくれたことは二つあった。今思い出したけれど。
SCRAPを作って二年くらいたった時に、税理士から提示された僕の報酬が多すぎて混乱していた時に
父から言われたのは「もらっておけばいい。どうせ会社はいずれ傾くんだから、その時に使えばいい」と。
普通の人からしたらずいぶんな額をもらったけれど、経営者の金はどうせ自分の金にはならないと。
いざとなったらすぐに差し出すつもりで受け取ればいい、と言ってた。
確かにコロナの時にすぐに僕の資産を保証金として莫大な借金をしたので、
父の言ったことは完全にその後実現したことになる。慧眼だな。
もう一つは、原宿の店を借りようかどうか迷っていた時。
賃料がもう少し下がるまで待ったほうがいいのかどうかを悩んでいた時。
「下がるか上がるかなんてお前みたいな人間にはわかるわけがないんやから、考えるだけむだや。
ほしいと思ったときに手に入れる以外に選択肢はない。経済をよもうとするのは愚かなことだ」
などと言ってた。
これは目からウロコがぽろぽろと落ちるような名言だった。
その後さまざまな決定をするときにこの言葉を思い出す。将来どうなるかわからない不確定要素で悩むのは無駄なことだ。
考えても分析しても結論が出ないことに悩んではいけない。
葬儀の間は喪主として、ばたばたと動いたけれど、自分の喪主力の低さには閉口した。
上座がどこかもわかってなかった。
焼香の順番も自信をもって決めることはできなかった。
僕はほんわかした場所で生きてきすぎたんだろう。
世の中の正式なルールをわからないまま大人になってしまっていた。
世の中のルールをぶっ壊してやりたいとは思っていたけれど、
そのためにももっとその愚かなルールを学んでおかなくてはならなかった。
こんなにさみしいとは思わなかった。
誰にでも訪れるありふれたかなしみなんだろ?と思ってた。
最近では半年に一回くらいしか会わなかったくせに、いなくなったら急にさみしくなるなんてずるだな。
親孝行できたのかなあとかも考えるけれど、まあできることはしたような気もするし、もっとできた気もするし。
父からの最後のlineは死の一か月くらい前だったかな。
「天皇賞取った!わーい!」だった。
俺はこれから毎年天皇賞がある度に父を思い出すだろう。
競馬全然やったことないけれど、天皇賞だけ毎年買うことにしよう。
死についてずいぶん考えた一か月間だった。
さみしさしか残らない死はたぶんよい死だな。そんな風に思う。
そんな風に死のう。
さみしさだけを残して死のう。俺もまた。
死が僕らを動かすんだろう。よりよく生きる方向へと。
残された時間で、すべての人たちの人生が肯定されるような方向へ向かって
僕は何かを作り続けていこうかと思うのです。
*このブログは本当はこれまで僕のライブに来てくれた人や「DMが欲しい」といってメアドを登録してくれていた人に書いたDMなんですが、googleの仕様が変わったのか、これまで使っていたDM用アプリでは送信できなくなっていたため、こちらのブログにエントリーしたものです。悪しからず。
世の中に多分何人かはいると思われる加藤DMファンの皆様こんばんは。
加藤DMです。
ちょうど今M1を見終わって、興奮した状態でこれを書いています。
とはいえもう深夜なので、これを送るのは目覚めてからになるとは思います。
それくらいの社会常識はあります。
社会常識はあるとか言ってるくせに、このDMはなんと五日後のライブのご案内です。
直前になってしまってすいません。
正直に言うと、前回の上田誠(ヨーロッパ企画)とのライブが楽しすぎて、
ワンマンライブで何をやっていいのか見失っていました。
さすがに二時間も僕一人が歌い続けるので、なにかコンセプトが必要だと思ったのですが、
とにかく前回の「企画性ライブ」が自分的に空前のすばらしさで、
なにか企画を考えなくてはならないという妄想に捕らわれ、
必死で企画を考えるも、ライブと企画ってそもそもそんなにしっくりくるものではないし、
ライブに企画性などないままでこれまで20年以上ライブをし続けてきたので何も思いつかないし、
企画性ライブという仮想の化け物とずっと戦っていました。
姿の見えない敵と戦い続けるのはつらかったです。
やっとつい一週間ほど前に「ちゃんと歌を歌おう」という至極まっとうなコンセプトにたどり着き、
ちゃんと今歌いたい歌をきっちり演奏する夜になりそうです。
今回も最近大人気のチェロとピアノとギターのトリオ「ザ・マングース」も登場予定!
さらに最近仲良くなった素敵な俳優さんもゲストで出演してくれます。
土曜日の夜。家族が寝静まった後、こっそり自分の昔の曲を練習していると不思議な気持ちになります。
もう15年くらい前に書いた曲が、今も僕の心を打ちます。
彼の真摯な姿勢で書かれた曲に、忘れてしまったものを思い出されます。
会社をこっそり営んで、父として日々を送りながら、
未完成な青年の言葉に戒められます。若さの価値を認めつつ、45歳ゆえの最高峰もまた目指すつもり。
歌いたい曲が山ほどあります。
2019年を締めくくるにふさわしい夜にしてやろうと思っております。
今年は本当にたくさんのことが起こった年だったので、ライブ中に振り返ってみます。
こっそりとカバー曲も用意しました。
何をやるかはお楽しみ。
年末のあわただしい時だとは思いますが、もうさすがに年末の予定も決まったころでしょう。
万が一28日の夜が空いているのであれば、ぜひとも加藤隆生ワンマンライブにお越しください。
絶対に素晴らしい夜になります。
色んな事があった2019の思い出を、加藤隆生ライブで塗りつぶしてやるよ!!!
みたいな覚悟で、少なくともそういう覚悟で邁進する所存です。
ぜひお越しください。
2019年12月28日(土)
加藤隆生ワンマンライブ
開演18:30
前売 3,000円
場所 中目黒 FJ's
詳細&チケット予約はこちら!
http://robopitcher.com/live/live.html
今週末から「大魔王ゾーマからの脱出」がはじまります。
https://realdgame.jp/DQ2018/
ドラクエは僕という人間の根幹を作ってくれたゲームだ。
小学校五年生の時にはじめてドラゴンクエストをプレイして「物語の主人公になったような体験」をしたときのことを忘れることはないだろう。手が震えて興奮してその日の夜は眠れなかった。
ドラクエをはじめてプレイしたあの日に、僕の心には強く「物語の中に入りたい」という気持ちが芽生えた。
その気持ちをずっと持ち続けて、その気持ちをいつか実現してやろうと思いながら生きてきた結果、ある日リアル脱出ゲームというアイデアを思いつくことができた。
だから世界中にあふれるリアル脱出ゲーム的な謎解きゲームの原点はドラゴンクエストなのです。
ドラゴンクエストがあったから、今世界中の人々は閉じ込められ、謎を解き、悔しくなったり熱狂したり、歓喜の声を上げたり、たまたま一緒のテーブルで出会った人と結婚したりするのです。
もし世界にドラクエがなかったらと思うとぞっとする。
そんなの、竜王からもらう世界の半分の闇の世界みたいなものだ。
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ドラクエの世界を幕張メッセに作る。
そして、四人パーティーでそれぞれの職業に就いて冒険する。
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というこのたった二行の企画書はなんと心が躍るんだろう。
今見ても三年前にこの企画書を書いたときの興奮がよみがえる。
僕らはこのたった二行の思い付きをもとに幕張メッセにリアルドラゴンクエストを作り、四万人以上の人を集客して、とんでもない熱狂を作った。
ただ、あまりにも「これまで世界になかったエンターテインメント」過ぎたので、各所でさまざまなトラブルが起こった。
いくら何でも時間がかかりすぎたり、とんでもなく歩かされたり、謎のバランスが悪かったり。
僕らはそれらの反省をすべて活かして、今回はさらにとんでもなくおもしろいものも作った。
幕張メッセには、ドラクエのカジノやダンスステージやファッションショーのランウェイが造られ、冒険者たちがたどり着くのを今か今かと待っている。
個性豊かなこの世界の住人たちはさまざまな衣装に身を包み、ゾーマの支配する世界を冒険者が救ってくれるのを待っている。
本当は今回は第二弾なので「邪神シドーからの脱出」にして、ドラクエ2のラスボスを倒すゲームにしようかと思っていたのですが、今回のようにお盆休みの時期に10日間も幕張メッセを抑えられることなんて二度とない!!!と強く言われたので、僕が一番好きなドラクエ3のラスボスゾーマに出てきてもらうことにしました。
そうなのです。
こんな風に幕張メッセを使えることはもう二度とないかもしれないのです。
つまり、リアル脱出ゲーム×ドラゴンクエストをあの広さで、あのクオリティで出来るのは今回が最後かもしれません。
だから今できるすべてをここに詰め込みました。
もう会社には一切の余力は残っていません。全部ここに注ぎ込みました!!!
大人になって全力を出すってこういうことなんだなっていうくらい全力でした。
こんな規模で出来るのはもう最後かもしれないと思ったので、絶対に悔いの残らないものを創ったつもりです。
どうか、このブログを読んでいて、今週末から来週末にかけてお時間に余裕のある人はなんとしてでも幕張メッセに来てもらいたいです。
絶対に面白いから。
絶対にすごい体験ができるし、絶対にすごい空間を見ることができるから。
コンクリートでできた巨大な建造物が、豊かなドラクエの世界になるところを見てほしい。
これは壮大な希望の物語なんじゃないかと思うのです。
勇者でも選ばれし者でもなかった僕らが、全力で必死でなにかを願い力を尽くせば、「物語に入ったような世界」を本当に現実世界に現出させることができるという希望の物語なのです。
だからどうか、一人でもたくさんの人たちにこの空間を体験しに来てほしいのです。
あなたの日常と繋がっている幕張メッセがドラゴンクエストの世界になるのなら、あなたの日常だって冒険にできるかもしれないのです。
あなたが今している仕事も、勉強も、遊びも、家族とか友人とか恋人とか食事とか睡眠とかそういう毎日毎日起こる当たり前のことが、「物語」になるかもしれないのです。
そのことを僕らは提案し証明したいのです。
震える手でコントローラーを握りしめたすべてのドラクエファンと、濁った日常に迷いながら立ち向かっているすべての冒険者たちにこのイベントを捧げます。
どうか、あなたの日常が、とびっきり素晴らしい冒険の世界になりますように!!!!
SCRAP 加藤隆生
└ ラーメンが僕に言うんだ。「とても楽しいイベントでした!大学生になってはじめての ...」
└ 名古屋のデブ社長が僕に言うんだ。「僕らが生きている場所には、パラレルワールドがある。 思 ...」
└ monoが僕に言うんだ。「有名人になればなるほど発言の自由が奪われていくという ...」
└ ISKW(mattari0322)が僕に言うんだ。「ご無沙汰しております。 「すべてを説明してしまわない余 ...」
└ 名古屋のデブ社長が僕に言うんだ。「覚えていらっしゃるかな… 企画のワークショップで、最前 ...」
└ no nameが僕に言うんだ。「いつも夫婦でリアル脱出ゲームに参加しています。 冬に出 ...」
└ が僕に言うんだ。「今の加藤さんは幸せです。少なくとも私にはそう見えます ...」
└ ハルトが僕に言うんだ。「指標のひとつとして体験数別参加者の増減かと。(アンケー ...」
└ が僕に言うんだ。「時間に関してですが、やはり1時間という時間がベストだと ...」
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