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2015年11月30日
ネガポジというライブハウスについて

 もし僕が死んで、誰かが僕の人生についての評伝を書いてくれるとしたら「ネガポジ」というライブハウスについて一章は割いてくれないとその本はクソだ。

 京都丸太町駅徒歩五分。
 竹屋町間之町にあるそのライブハウスで、僕は人生で大切なことをたくさん学んだ。
 もしネガポジがなかったら、僕の人生はまったく別のものになってただろう。
 よくなってたか、悪くなってたかわからないけれど。

 ネガポジについて語るときには、まずは木屋町にあるRAGというライブハウスで僕がはじめてライブをしたときのことを語らなくちゃならない。
 その時僕は20歳で、1995年の春で、つまり阪神淡路大震災の直後だった。
 たくさんの大学から音楽サークルが集まってライブをするという企画があって、それはたしか震災のための募金を集めるライブだったんじゃないかと記憶してる。
 僕はその時ちょうど「カリフラワーズ」というバンドを作ったばかりで、まだできる曲は二曲しかなかったけれど、RAGに出演した。
 RAGは僕にとって憧れの場所で、というかもうその頃の僕にとっては京都のライブハウスなどすべて憧れて憧れて憧れまくったすごい場所で、中でもRAGはプロのミュージシャンがライブをして4000円もするチケットを売り切ったりしててすげえと思ってた。
 
 そのとき、どんなライブをしたのか覚えてない。
 たった二曲だけ。
 一曲はたしかJBのカバーで、もう一曲はまったく記憶にない。
 それより覚えてるのは僕らのライブの後、話しかけてきてくれた人がいたことだ。
 その人は当時RAGの店長だった寺島さん。
 僕の母が「寺島さんとさえ会わへんかったらなあ」とのちに語ったほど僕の人生を変えてしまった人だ。

 寺島さんはその時に確かこんなふうに声をかけてくれたと思う。
「ええバンドやな。また出えへんか?」
 それから僕は約10年くらい寺島さんと日々を過ごすようになる。 
 ものすごい量の酒を飲み、ものすごい量話し、ものすごく影響を受けた。
 
 その日から何度かRAGには出演したけれど、寺島さんはほとんどほめてくれたことがなかった。
 いつもメンバーや僕を悪く言った。
 つまらない。
 グルーブがない。
 メンバーが同じ場所を見ていない。
 客を楽しませていない。
 MCがつまらない。
 などなど。
 
 僕らは学生バンドだったので、こんなにひどく自分たちの音楽を言われたことがなかったのですごくびっくりした。
 この頃は60年代ソウルのコピーバンドをしていたので、議題は主に演奏のテクニックだったように思う。
 まあカバーとかコピーとかしてる人にとっては、テクニック以外に語ることがそんなにない。

 寺島さんと出会って一年後くらいに移動したのが「ネガポジ」だった。
「新しいライブハウス作ったから来いよ」といわれてふらっと尋ねた。
 リハーサルをやっている最中だったけれど、地下のその箱に入って驚いたのはとにかく全部手作りだったこと。
 壁とか机とかイスとか、そんなに狭くない場所が、とにかく手作りで作られている。
 たくさんの人の手と思いがその場所に積み重なって出来上がっているのだと思った。
「いいやろ?」と寺島さんがいったので「まあな」と僕は答えた。

 ネガポジが出来て一ヶ月が経った頃僕は始めて自分が作った曲でライブをした。
 オリジナル曲だけでライブハウスでライブをしたのは「ハラッパ=カラッパ」というバンドだった。
 1996年のことだったと思う。
 ライブが終わった後、いつものようにボロかすに言われた。 
 バンドがひどい、アンサンブルがなってない、リズムについてもっと考えろ、一つの方向を目指せていない。
 でも、最後に寺島さんはこういった。
「ただ、曲と歌詞はええな」と。
 その一言が、僕の人生を変えてしまったといっても過言じゃない。
 
 ネガポジの店長さんはは山崎さんというこれもまたややこしい男だった。
 山崎さんは寺島さんの約10年上だった。
 だから大体20の僕と大体30の寺島さんと大体40の山崎さんでよく飲んだ。 
 山崎さんにもとにかくぼろくそに言われた。
 山崎さんは寺島さんの師匠みたいな人だったので、当たり前だけど寺島さんということは似ていた。
 やっぱり「お前たちはバンドになってない」とよく言われた。
 同じ場所を目指せよ、と何度も言われた。

 でも、一度だけすごく良いライブが出来たときに山崎さんが僕らに「お前らの今日の演奏なら客の数がゼロ二つ少ないわ」と言われたことがある。
 その時に初めてプロのミュージシャンになりたいと思った。
 なれるんじゃないかと思った最初の夜だった。
 まあ、その時僕も山崎さんも泥酔してたけど。

 月に一度ネガポジでライブをしてたけど、週に二回くらいはネガポジに遊びに行ってた気がする。
 ライブを観にいったり、ただ飲みに行ったり。
 なにせそのころ学生だったから、金なんか全然なかったんだけど、ネガポジに行けばなぜかいくらでも飲めた。
 記憶が確かじゃないんだけど、そうとうおごってもらってたんだと思う。
 店の酒を勝手に飲んでたけど、お金を払った記憶がほとんどない。

 とにかく僕はネガポジに心酔してた。
 ネガポジの人たちがみんな大好きだったし、大学に行くより友達と遊ぶよりネガポジにいるほうが楽しかったし刺激的だった。
 ネガポジにあったのは「切り開く力」だった。
 時代にも誰にも流されず、ただネガポジとしてあるためにすべてを切り開いていく力があった。
 あの時、店長の山崎さんだけではなく、ブッキングマネージャーだった寺島さんもバイトのみんなも全員「ネガポジがすごい、世界はすごくない」と確信していたような気がする。
 そして、それは僕もそうだった。ネガポジの生み出した尺度が正しいと思っていて、世の中の流行り廃りなんてまったく興味がなかった。
 ネガポジの中で評判になることが一番大事だったんだ。

 そんな状態で、僕は就職活動の時期に突入する。
 人生でもっとも引き裂かれた時期だった。
 ライブをしたり、リハーサルをしたりしながら、周りがどんどん就職が決まっていくのを眺めてた。
 さすがに耐えられなくなり、就活をしたら一つだけ印刷会社が採用してくれることになってしまう。
 山崎さんや寺島さんは「就職なんかすんなや」とは何度も言ってくれたけど、「ネガポジで働けや」とは言ってくれなかった。
 バイトはすでにすばらしい人たちが集まっていたし、僕はそもそもそういうバイトというか客商売にはまったく向いてなかった。その辺はさすがに見破られてたんだろう。

 学生時代何度もライブをして、就職直前にもライブをして、就職してからもライブをしてた。
 就職中にはその苦しさからいくつもの名曲を書いた気がする。
 就職中のほうがいい曲書いたよね、とか言われたし。
 就職してから二年経って「ミュージシャンになりたいから会社辞めます」と言った日の夜もネガポジで飲んでた。
 ネガポジがあるから大丈夫なんじゃないかと思ったんだ。

 就職して社会に出てわかった。
 ネガポジがいかに異常な場所なのか。
 そして、ネガポジがいかに尊い場所なのか。
 あんな場所は他にない。
 時間が止まっていて、責任がすべて個人に集約されていて、お金と関係なく表現が生み出されて、そして消えていく。
 あんな尊い場所を僕は他に知らない。
 あそこで生まれて、あそこで消えていきたかったんだ。

 会社を辞めてからはたがが外れたように僕は寺島さんと飲みまくった。
 ありえないくらい飲んでた。
 会うたびに音楽とマンガと人生の話をしてた。
 ライブをして、リハをして、そして飲んでた。
 寺島さんはとてつもないベーシストでもあったので、一緒にバンドをやった時期もあった。すぐ破綻したけど。
 寺島さんにレコーディングしてもらったりもした。
 でもまあ、とにかく飲んでた。
 ライブをして飲んで、ライブを観にいって飲んで、ライブが終わった後に行って飲んで、ライブと関係ない場所でも飲んだ。

 そしてネガポジで出会ったすばらしいバンドたち。
 月下美人、フテハリ、Five easy peases、原田博行、バンスキング、京都町内会バンド、也許文吾ほかにももう数え切れないほどたくさんのたくさんのすばらしい音楽。
 そのいくらかはネガポジでしか見られなかった。
 そのすばらしさはネガポジでしか体験できなかった。
 僕はそのことにしびれていた。ネガポジのすばらしさに酔いしれていた。
 でも、僕はそのことにゆっくりと絶望していく。
 ここにいたら、ここにいるしかなくなってしまう。

 フテハリの「タニシ」「黒い雲」「手のひら」とかいう曲はこれまで流れてきた日本のどんな曲にも負けない強さを持っていると思う。月下美人の「miss妖精」や也許文吾の「キュラソー」よりもくだらないけれど売れている曲は山ほどある。
 僕の知る限りだけど、ネガポジは本当にすばらしかった。日本の中で比類ない輝きを放っていたと思う。毎晩毎晩嘘だろって思うくらい奇跡みたいなライブが繰り広げられてた。
 でも、世界はそれを無視した。
 京都に住むある一部の人たち(多分20人くらい)だけがそれを知っていたけれど、他のだれもそれを知らなかった。
 ネガポジもそれを広めようとはしなかった。
 僕はそのことにだんだん絶望していった。
 僕よりもずっと才能のある人たちが、ここでくすぶっている事に激しく憤った。
 このすばらしい才能を見つけられない日本の音楽シーンに絶望した。
 ここで起こっているすばらしいことを見つけられないすべての人たちをバカにしたかった。

 僕はそして、そんな感じで20代を終えようとする。
 なにも成し遂げず、何にもなれないまま、30歳を目前にひかえたころ、ネガポジからゆっくりと離れていく。
 つまりそういうことだ。ネガポジのすばらしさはネガポジで完結していて、だからこそすばらしいが、だからこそどこへも行けない。
 
 ネガポジでのライブはどんどん減っていった。
 寺島さんは結婚してネガポジを辞めた。
 山崎さんは自分でバンドを組んでどんどん活動していた。
 
 そして僕はフリーペーパーSCRAPを創刊する。30歳くらいのとき。
 僕はネガポジの経験で思ったのだ。
 良いものを作ってるだけじゃダメだと。
 自分がメディアにならないと、誰もなにも評価してくれないと。
 そして、世界は僕らが思っているよりも鈍感で、どれほど期待しても僕らを見つけてなんかくれないのだと。
 今売れているやつらなど、ただの才能のないラッキーなだけのやつらだと、僕はネガポジで学んだのだ。

 ネガポジについてきちんと書いていけば、本一冊かかっちゃうな。
 まだまだいくらでも書かなくちゃいけないエピソードがある。
 僕が山崎さんと喧嘩してイスを蹴り飛ばして帰っちゃった話や、寺島さんの引越しを手伝ってひどい目にあった話や、ネガポジのバイトの人とバンドを組んだ話や、オクナメ丼がどれほどおいしかったかってこととか、あのお店で出会ったたくさんの奇妙で魅力的で極彩色に彩られた人々との話とか。

 で、なんでこんな話を書いてるかっていうと、そのネガポジが今年いっぱいでなくなっちゃうのです。
 騒音問題らしいけれど、19年やってきた店がいまさら騒音でなくなるってどういうことなんだろう。

 僕の20代のほとんどをすごしたこの場所で、どうしても最後に歌を歌いたくて山崎さんに連絡したら「おう!歌いに来いよ!」といってもらえたので、最後にネガポジで6年ぶりくらいのライブをしたいと思います。

 良ければみなさまお越しください。
 寺島さんも山崎さんもいるよ。
 月下美人のかなさんもフテハリも出るよ。
 片山ブレイカーズの片山くんとライブするのももう6年ぶりだ。

 ぜひ
 ぜひともお越しください。
 この日、このときにしか出来ないライブをするから。

 ■ (加藤ソロ)2015/12/9(水) 「サヨナラジャイアントシリーズ」 

チケット予約
 

【会場】 京都・丸太町ネガポジ
【出演】 加藤隆生 / フテハリ / 山本かなこ(月下美人) / 片山尚志
【時間】 OPEN 18:00 START 19:00
【料金】 前売:1,500円(1ドリンク別)

チケット予約はこちらから! http://www.robopitcher.com/live/live.html

 僕が23歳くらいだったときに寺島さんが僕に言った言葉がある。
「30代で稼ごうと思ったやつは金持ちになれない。金を持つのは40代からでいいんだよ」。
 僕は忠実にその助言を守り、30代ではただただ目の前の面白いことに力を注ぎ続けた。
 そしたら、40代はなかなかお金には困らなくなった。
 寺島さんに言われたことはまだ100もあるけれど、あの言葉は強烈に残っている。

 今思えば寺島さんも山崎さんも10も20も年が離れた若造となんであんなにちゃんと面と向かって喧嘩してくれたんだろう。
 あんな大人他にいない。
 いろんな人と会ってきたけれど、山崎さんや寺島さんみたいな大人見たことない。
 ネガポジという場所だから成り立った関係みたいなものが山ほどあった。

 俺はそんなこと出来てるかな。
 なんとなくあしらってしまったりしてないだろうか。
 なんとなく年下の人たちを見下したりしていないだろうか。

 あの頃、僕は魂を磨り減らすみたいにして向き合ってたけど、寺島さんや山崎さんはどうだったんだろうなあ。

 なんにせよ、僕にとって丸太町ネガポジでの最後のライブだ。
 ネガポジはその後移転するらしいけれど、僕の愛したネガポジとは別の場所だ。
 何かが変わってしまうだろう。
 新しい何かがもちろん生まれるだろう。

 どうか、ふらっと遊びに来てください。
 最後の歌を歌います。

kato takao** 30/11/2015 月曜日 03:22 | Link | TB (0) | コメント(0)

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