新しい何か

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損得っていうのを考えるとその一喜一憂でいろいろ落ち着かない。だからって煩悩0%にもなれそうにもないし、いやはや兎角この世は、えーとなんだっけ?

3日前にバイクで走っている時、前の車が僕が思っていたよりも手前で停車してぶつかりそうになったんですよ。ギリギリで追突を免れて、危ないなあ、と思ってもう一回発進した直後、その車がまた止まったのです。入ろうとしていた駐車場にヒトがいたのです。僕はその車の左後ろのバンパーを思いっきり擦ってしまいました。

ヒトの良さそうなおじさんが出てきて、バンパーのペンキ塗り替え代をきっちり請求すると宣告されました。昼過ぎに電話があって伝えられた額はまあ適正な額。でも正直なところ僕は自分の愚かさよりも不運さの方をより強く感じでいたので「なんでおれが」っていう気持ちが拭えなかったわけです。でもそのバンパーをキレイにするヒトはどう考えても僕以外にはいない。悶々とするわけですよ。事故の後によくある嫌な気分。

でどうしたらいいか半日考えたわけです。そこでとりあえず一旦辿り着いた結論が「出したくない金を出すという行為に不幸を感じる」のであれば「出したいと思う金を出せばいい」ということでした。ペンキ塗り替え代は出さなくてはいけないお金なのでこれはもう出すしかない。じゃあその額に大幅に上乗せして出すか、と言われればそんな余裕もないので却下。じゃあ自虐的に新しいパソコンでも買うか?と思い立った時、これは直接自分のためになるお金を出しては意味がないということに気づきました。捨てるつもりで、ないお金を望んで出す。意味わかるかな?

で結局あまり余裕もないのでちょっと高めの泡盛を買ってバンパー代といっしょにおじさんの職場に持っていきました。自分は悪くないと思いながら。(まあ悪くなくはないんだけどね)おじさんは見積書を持ってきてちょっと負けてもらったことを僕に教えてくれました。1400円ほど。そこで僕は箱入り泡盛を取り出して、顔の4%くらいをこわばらせながら「お詫びの印」と言って渡しました。おじさんはどうもそういうのはまったく予測していなかったようで素直にびっくりした後「ありがとう」と言って受け取りました。

それからおじさんは「沖縄にはどのくらいいるのか?」とか「沖縄の嫁さんをもらったのか?」とかいうよくある質問を2,3した後、にっこり笑って「災難だったねえ」と言って僕を送り出しました。僕は「はい、気をつけます」と言って出て行ったわけです。で僕は今すっきりしているわけです。気をつけようというのは本当に思っているし。

果たして僕は何をしたのでしょう。うまくいったと思っているけれど自分がどういう作用を望んでそうしたのかイマイチ自分でも掴み切れていない気がします。おじさんの機嫌をとることがそのまま「すっきり」に結びついただけなのでしょうか。そうなら単に日本の弱腰外交のようなことをしただけなのかもしれない。そうなら弱腰であろうが強腰であろうが損得を越えていない。そうならおじさんを騙して払うお金を少なくすることとあまり大差ない気がする。

自分と自分のまわりの世界の関わり方についての新しいやり方が一瞬ちらりと見えた気がしたんだけどなあ。それともきっちり引きずるのが正しい道だったのか?

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2 Comments

他人事のような言い方かもしれないけど、それでよかったんじゃないかなと思います。大局観で、失った金よりも、得たことはそれよりも大きい、みたいな。
おれも似た経験ある。

最近は、得たことがなくてもいい!の境地に魅力を感じているんやけど果たしてそういうヒトに魅力はあるのか?いや、ここで「魅力がありたい」と思っている時点で、、、、。うーん。

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