泡のない手

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小さい頃の記憶は頭の記憶として残っていないけれど、体の方は覚えていたりするものだ。

昨日今日と友人の家にお世話になって、そのどちらともが山の中の一軒屋。実際は違うのだけれどそんな感じの漂う場所です。大きい家はいいなあ。僕の沖縄の住処もそんなにせまくはないけれど、逃げ場もない程度の広さだし、なんといっても湯舟がない。バスタブはタブーではない。けれど(いつものように「けれど」ばっかりだけれど)あってもどうせ使わない。面倒くさいから。

だけれど、旅先の湯舟はすばらしく気持ちいい。いい。
今晩お世話になっているところはシャワーがない。小さなタイルで敷き詰められている昔のお風呂。そしてシャワーがないということは頭を洗うときは湯舟からお湯をすくって頭を流す。これが結構難しい。頭を流すということは頭が泡だらけになっているということだから、当然目が閉じられている。粘り気のないシャンプーだともう目はずっと閉じっぱなし。その状態でお湯をすくうのは本当は全然難しくはないけど、無意味な苦労をしているような気がする。不必要な苦労。さらに泡だらけの手をお世話になっている家の湯舟につけるなんて礼に反する。ぞ。

これは頭にシャンプーを垂らす前に桶に一杯お湯を汲んでおけば解決する。流すときになったら右手を桶に入れて手の泡を流してからそのお湯で一回めの頭を流す。泡のない手を使って湯舟から2回目を流す。すばらしい。

キーポン少年の実家も以前はシャワーがない風呂でした。小さい頃に反復していたこのやり方。自動的にやってしまっていた。忘れないものだ。

君と歩いた〜あの町並みが〜変わって行くのが〜


今日の昼、以前住んだ懐かしい町をちょっとだけ歩いた。後ろ向き人生の気持ちよさはなかなか侮れない。なかなか強い力を持っていてヒトの気分を変えてしまう。よし、これからの人生をすべて自分の過去を紐解くために使おう。今日が折り返し地点だ。なーんてそんなことをしてもいいのだろうか。まあまあ有意義な時が過ごせそうな気がしないでもないな。後悔するかな。

とりあえずこの数日間を紐解いてみると、かなり楽しい時間を過ごしているなあ。昨日のちえみさんのライブもよかった。新しい出会いや出会いの始まりの予感の前兆的な出会いも多々あったし、鶴坊、りゅうちん、たろを始め結構たくさんの友人に会えたぞ。そういうえば初日にフラッシュバック9にも会えたな。もっと紐解けばもっといろいろあったような気もするが、僕の解ける紐なんてこの程度さ。寝るー。おやすみ。

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