August 2013 Archives
よくいっしょに遊ぶヒトのグループがあると8割くらいは同じ世代の人間が集まる。残りの2割くらいはちょっと上だったり下だったり。ちょっと上の世代の人で年下中心のグループにいられる人っていうのはそのための才能だったり性格だったりが必要だと思う。
ちょっと上の世代の人はお金も持ってるし、下から見れば結構頼りになる。どこかに行こう、ってなった時に単純に車を出したりとかそういうことをたいした見返りも考えずにやってくれる。
自分が20代の頃は北九州でお店をやっていて、そのお店に集まるグループで本当によく遊んだ。お店で歌を歌ったり聞いたり、歌について話したり、さらにお店を出てどこかに遊びに行ったり、公園を借りて大きなイベントをやったり。
そのグループは自分のちょっと下くらいの世代が多かったと思う。そして世代がひとまわり上でよく出入りしていたのが龍太郎というおじさん。年下からも気軽に馬鹿にされるようなエピソードがいっぱいの人で、からかうのが好きな自分の格好のターゲットでした。
ひどく酔っ払うと、どろーんと潤ませた目をぎょろぎょろさせ、厚い唇の端をツバで濡らしながらよく絡んできた。「イーダくん、それは違うんじゃないかなあ。それはイーダくんの強さであり弱さであると思うんよね、俺は。」
ある年に八幡東区の公園でイベントをやることになった。一応自分が責任者でずっと公園に入り浸って作業していた。その日は龍太郎さんと二人きりステージの設営をしていた。ステージといってもまだ、だだっ広い芝生の端っこに長い竹を2本打ち込んだだけの状態で、その2つの竹を引っ張り合って真ん中で交差させるのがその日の仕事だった。
綺麗な扇型ができてそれをステージ前面にして、そこから後ろに屋根を作っていくつもり。その屋根の下にビールケースを並べてステージにして2日間かけてたくさんのミュージシャンが演奏する。
いざ竹の上の方を引っ張り合ってみると結構の高さのところで交じ合う。そこにあった一番高い脚立の上に乗っても全然届かないので、最終的に脚立を伸ばしてそれを自分が支える。龍太郎さんが登って行って上で2つの竹を針金で結わえ付ける。たしかそういうことになったはず。
(ような記憶があるけど覚え違えかもしれない。そもそもなぜ先に結わえてから両端を寄せて打ち付けなかったのか。)
普通に考えたら伸ばした脚立は自立しないのでかなり危ない。電気屋やってる龍太郎さんでも無謀としか思えない。自分もビルの建築現場でよくバイトしていたので脚立は工事現場のナンバーワンキラーだとよく思っていた。まあでも他にどうしようもなかったのでとにかくやってみることになった。文句を言いながらもこういう時にこういうことをやってくれるのが龍太郎さん。
2つの竹の先っぽをなんとか結わえた直後に龍太郎さんが落ちてきた。脚立を滑るような感じで。条件反射で自分は上から落ちてくるおじさんを避けた。龍太郎さんはなんかよくわからない感じで一応足から地面に落ちて芝生に転がった。
とっさに竹を掴んでそれをクッションにしたのだろうか、なぜか龍太郎さんは怪我一つするでもなく、どこかを痛がるわけでもなく「おまえ逃げたなー」と怒りながら笑っていた。
とある夜に、みんなで流星群を見に行くことになった。龍太郎さんのワゴン車に5,6人で乗って、山口の山奥の山の上まで曲がりくねった道を登っていった。自分は人の運転、特に龍太郎さんの運転は苦手で、山道に入ったらすぐ気分が悪くなった。頂上に着くと曇っていて空は見えず寒かった。
座っているだけだと気持ちが悪いので帰りは運転させてもらった。山道の急カーブで内側を走りすぎて車の横側をガードレールにぶつけた。車の左側のほうでバーンと大きい音がした。「流星があたりましたね」と言うと「おまえそんなことがあるか」と龍太郎さんは怒りながら笑っていた。
旅行好きの龍太郎さんは、自分が沖縄に来てからも何回か沖縄に遊びに来て、その度におもしろいエピソードをたくさん残して帰っていった。酔っ払って調子に乗って蹴とばされたりとか。
そんなおじさんも(たぶん)60にもなっていないのに結構重い病気で入院した。今お見舞いに行く飛行機の中でこれを書いている。会うのは何年ぶりだろうか。4,5年ぶりかな。
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数年ぶりに会った龍太郎さんは結構老けていたけれど、そんなに弱々しい感じもなく相変わらずアホな言動も多くて、なんか安心させられた。点滴ぶら下げる棒にギターもぶら下がっていたし、きっと病院や同じ病室のヒトにも迷惑をかけているんだろう。お見舞いも80人くらい来たらしいし。
龍太郎さんが自分に会ったころの年齢を自分はとうに超えてしまったけれど、たぶんあの頃のおじさんみたいには楽しくアクティブに遊んでないだろうなあ。まあいいけど。
長生きしておくれよ、龍太郎さん。
写真勝手に載せるけど。
my stuff