June 2007 Archives

僕が数字が苦手なわけ

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2007年07月07日は7がたくさん並んでいるので何かの記念日にしたりするヒトがきっと多いはず、という話を今日の昼間していました。入籍したりとか、日付入りの切符を買ったりとか、そういうことをするひとは実際にたくさんいるんだろうね。でも個人的には日付を理由にして動きを始めたことはたぶんないのです。まあいいんですが。

確か小学校4年生の春に僕は盲腸になったのですよ。手術をしてもイマイチ回復が遅かったので、僕は汽車に20分乗ってさらにバスに20分くらい乗って隣の隣の町の大きな病院にひとりで通院してました。で、僕は当時切符というモノが好きで車掌さんの部屋に行って使用済みの切符をよくもらっていました。今思えば小学生が切符くださいって訪ねてくるわけだから車掌さんからは、なんだかわいいやつ、くらいに思われていたのかもしれない。

当時の国鉄の切符は分厚い厚紙でできていて小さくて質感もよくていかにも通行手形のようが感じで、とても遠くに連れて行ってくれるようなそんな感じがしたのです。たまに大きくて薄い紙のタイプのもあったけれどそれはあんまり好きではなかった。今思えばかなり安易だったけれど、集めた切符を夏休みの自由なんたらにして提出したりした。

当時僕が乗っていた山陰線の車両(ディーゼルカーに引っ張られるタイプ)は降り口が車両の端っこにしかなくて、その扉はもちろん自動ではなくて走行中でも普通に開いた(よね?)。最後の人が閉めなければそのまま開きっぱなし走っていた気がする。よく体を出して遊んでいた。危ないとは思ったけれど誰かが落ちてケガしたとかいう話は聞いたことない。

とうことで僕は当時午後からの授業に全然出てなくて、たぶん40日間くらい続いたような気がする。今考えたらそれは覚え違いのような気もする。毎日行ったりするモノだろうか?そこまで予断を許せないものなのだろうか。いや毎日ガーゼを取り替える必要があったような気もする。まあ結局治らなくて再手術まですることになったのですが。

ということで僕はその時に算数がまったくわからなくなりました。とくに分数がまったくわからなくて、恥ずかしながら、高校1年の時に分数と分数のひき算ができなかった記憶があります(公式を丸覚えする意義が当時まったくわからなかった。今はケーキとかを使って説明できるくらいになりました)。なのでたぶん日付の数字の並びに興味がないのはそのせいなんじゃないかなあ。

070625

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久しぶりに物欲の炎に心を焼かれているキーポンです。炎って「ほのう」じゃなくて「ほのお」なんですね。

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毎朝通るバイト先の建物の目の前の押しボタン式信号の、あのボタンの付いた黄色い箱が柱から半分とれかかっているのをみつけました。下のネジだけでぶら下がっているので上下逆さまになってぶらぶらしている。夜は酔っぱらいの多いエリアだし誰かがけっ飛ばしたんだろう。そのままボタンを押すと「おまちください」がキチンと点灯した。うしろから職場のにいちゃんが「おはようございます」と声をかけてきた。ひっくり返った黄色い箱を見て「またこれひっくり返ってんすかー?僕これ3回くらい直したんすよー」って言いながら両手で箱をくるっと回して元の位置に戻した。おまえいいやつだな。

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この前の東京からの返りの飛行機。通路側の席で眠ってたら飲み物のあの車が通るたびにそいつが膝に当たって僕を起こしていくんですよ。3回目の時に寝起きの僕に向かって笑顔で「お飲物どうしますー?」って声をかけてきたので「これで3回目です」ときちんと伝えたら謝罪モードのスイッチが入ったらしく非常に丁寧に謝られました。その謝り方がもうほんとに申し訳ない、って感じで、そのマニュアルの域を超えた完璧な申し訳なささを間近で見てかなりブルーになりました。まあ謝るのって難しいけどあれはほんと気持ち悪かった。背筋がぞぞーってした。

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湿度がすごい。触るモノ全部べたべたしている気がする。指先から湿気が出ているのかって思うくらい。

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さっき撮ってきました。

keeponのflickrにアップしてます。

世の中にはあえて口に出さない方がいいことが結構あるのですが、そういうことをひとつ。

アーチストが自分のアートのためにやりたくないコトってあるんですよ。でも周りにいる、モノを作ったことがないひとは「やりたくないこともがんばってやるべきだよ(アートのために)」ってとても親身に言ってくれるわけなんです。

それを言われると悩み症のアーチストにはとてもつらい。誰も悪くはないのに、アーチストの悩みと疲れだけが生まれる。だから僕はよく思うのですが、応援したいなら口ではなく行動で応援してあげたらいいと思うんですよ。その時に少しでも見返りを期待してはいけません。応援はあなたがしたいからやってるんです。アーチストにできる見返りはいいアートを作り出すことだけです(つまり見返りは厳しいってことなんですけどね)。

「やりたくないこともやったほうがいい」ってことはほとんどのアーチストは知っています。それをやらないほうがいいってことも知ってます。みんながそれをやるとアートの質がどんどん落ちていってつまらない社会になってしまいます。

アーチストっていいますけど、単に自分が作りたいモノを作ってるだけのヒトビトです。誰でもそうなんです。誰でもなれるんです。だからみんなでなればいいんですよ。で、アーチストの気持ちで生きていくヒトが増えればそれは楽しい社会になるんじゃなかろうか。

親身になってくれてるヒトにこれを言うとまずわかってもらえないんだよなあ。エラソーに言うな、って思うヒトはレコードの片面しか聞いてないのといっしょなんですよ。これたぶん自分でモノを作るまで絶対に実感できない信仰みたいなもんなんでしょね。(僕はそんな作るヒトでもないけど。。。)だからまず3年くらい自分のモノ作りをやってみて、なんのためにそれをやっているのかを顧み続けてみてほしいわけですよ。で、その時に他人に同じコトが言えるかぜひ試してみてほしい。

もちろん周りの人は好きなコト言って応援していいと思うんですよ。ただ結果的にそれが応援になるのかどうかは微妙ですよ、って話です。どっちでもいいんだけど、どっちでもいいってわかっててもらえるとアーチストのヒトは助かるんじゃないかなあ。

「ぐずぐず言う前に練習しろ!」っていうのとは違う話です。

朝から影が濃ゆい

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梅雨は明けたのか?開けた気がするなあ。

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もう

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寝る。


昔はこんな書き込みすることになんの抵抗もなかったのに。何が変わったんだろう。

個人的に水不足を心配していた今年の梅雨ですが、降るわ降るわ各地で大雨です。

さて僕の梅雨の風物詩といえば何かわかるヒトいるでしょうか?そうです。大雨が降って止んでしばらくすると僕の車のタイヤがサビで固まるのです。前回は2年前、前々回はもう6年前です。今回は今です。

昨日、東京から帰って来て恐る恐る車をバックさせたらやっぱり左後ろのタイヤがまったく動かない。出かける時に思ったんだよ。この一週間車をほったらかしておくのは危険だ、って。とりあえず動くかなと思って強引に車を前後させたりぐりぐりやっていたらなんかパンクしてしまったようで空気が半分くらい抜けてしまった。あう。明日の夜に車いるのに修理屋さんに持っていくヒマがない。いつもの修理屋に電話しても誰も出ないし、どうしよう。まあなんとかなるさ。

バイクもほったらかしだったのでさっき乗ってみた。アクセルを吹かすと「ボコボコッ」ってエンジンがくぐもっていたけれどしばらく走ってたら調子が出てきた。調子に乗って本屋などぐるぐるまわって帰ったら、濡れた路面は怖かったけど湿った風が気持ちよかった。おもちゃコーナーにあったスティックのお香とお香皿を買って帰った。いい季節だなあ。

ちえみさんのレコーディングの旅から帰ってきました。ちえみさんは今回はプロデューサーをたてての録音でした。大きいモノから小さいモノまでもう恐ろしい数の仕事をしてきた百戦錬磨のプロデューサーのもとに音楽の20年選手、30年選手たちが集まって、ひとつの音楽を作り上げていく。それを傍らで見るっていうのはいい経験になりました。そこにいただけで経験値が上がった気になって帰ってきました。

信頼、信用できる技術者達が軽口を交わしながら音を重ねていきます。そしてそのすべての交差点で目を光らせているプロデューサーがいて、決して行き先を見失うことのない安心感の中でみんながやっている感じ。プロデューサーは、きちんとできるヒトたちと繋がっていて、そのヒトたちにきちんと仕事と稼ぎを作り出して与えていく。一回だけではなくて何回も何回もそれをやり続けていく。そういうのがプロデューサーなんだと、そういうことを考えました。

世の中にはいろんなタイプのプロデューサーっていうのがあるらしいです。音楽関係のプロデューサーだけに絞っても、音だけやるひと、金策だけやるひと、売り方だけ考えるヒト、全部やるヒトなど、人格の数ほどプロデューサーがあるって言えなくもない気もします。

この前読んだ田中角栄の本に通じるモノがあってその本のことを思い出しました。角栄型政治家に通じるモノがあるんです。プロデューサーっていうのは、みんなのギブ&テイクの通り道に立って行き先を教えてくれるヒトなのです。だからモテないプロデューサーなんていうのはきっと存在しないんだろうと思います。いいプロデューサーであればあるほどモテるっていうのは当たり前なんですね(今更ですみませんが)。だってあなたの望みを叶えてくれるわけですから。王様とかお姫様とかにしてくれるわけですよ。

おやすみっくす。

明日っからトキョー

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どっこいしょ。明日から東京にしばらくいます。しばらくというのは一週間です。はじめて見るモノ、聞くモノ、汁モノ、いや、知るモノになるべくたくさん出会えればいいなと思って日々過ごしているのですが、日々の慣性はなかなか強くて日々のルートから外れられる機会っていうのは実際にはそうありません。だからそういう時が訪れた時は、そういう時こそ平常心で上手に楽しみたいと思っています。

とりあえず九十九島のようにモノが散乱した僕の部屋を片づけることはあきらめて、荷造りのほうを始めようと思っています。かれこれ3時間くらい前から。

立花隆の「政治と情念」という本を読んだ。ドキドキするような冒険モノを読みたい気分で本屋を歩いていたらなんとなく購入。久しぶりに古本以外の本。コトの真相とかそういうことはさておいて、日本をずっと支配してきた政治のカタチを今更ながら知り、その枠の中での権力争いの話がとてもドラマチックでドキドキさせられました。権力争いの記録というのはかくも面白いものだということを知った。なんでだろうね。

僕の中で立花隆はずっと生き続けてすべてを見届けて僕らに伝えてくれる不死身の人のイメージなのですが、この前日経BPで書いていた「私は間に合わないだろうが、いまの若い人たちは確実に生きている間に核融合で発電された電気を使う時代を迎えるのである。」という一文を読んで「この人、世界にこんなに興味を持ってこんなに勉強したのに、あと2000年は生きるべきだよ」って思いました。でないと勉強しない僕らが困る。

初ヨーガ

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先生から「イーダさん、手が逆です」と言われかなり動揺。慌て反対の手を上げながら身体をひねったら僕だけ反対向きでみんなと目があいました。

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