春を恨んだりはしない、を読んだ

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地震とか津波とか半減期2万何千年とか、ヒト種の一個体である自分の理解を大きく越えたものにどうやって付き合っていけばいいのか?どのくらいの距離に自分をおけばいいのか?そもそもその「距離感」はコントロールできるものなのか?果たして「ヒト」はこれからもしばらく生き残るだけの分別があるのか?

イケザワさんが震災地を回りながら考えた文章を読んでそんな拠り所のない気持ちが少し安らいだ。文章自体は淡々としていて、別に力強く鼓舞したり励ましたりするわけでもなく終止落ち着いている。声のトーンではなく内容が届いてきてる感じ。久しぶりにこのヒトの文章を読んで「ああ、こんなだった」と思い出した。

「その先に希望はあるか?もちろんある。希望はあるか、と問う我々が生きてここにあることが証左だというのは逆説でも詭弁でもない。」

いいこと言う。

イケザワさんの過去の文章にはヒトの近い未来のことをきちんと考えた文章が多い。スペースコロニーのあの小説でさえSFな感じがしない。「母なる自然のおっぱい」や「楽しい終末」は10年ちょっと前にいろんなヒトに奨めまくった。そこに書かれていたようなコトに近いようなコトが本当に起こっていてびっくりしている。

あの頃はイケザワさんの本にかなり入れ込んでいたので、大抵の本は持っていた。ちなみに本はやさしい友人が段ボール箱に入れて沖縄まで送ってくれたので、あの頃買ったイケザワさんの本の大部分は今でもとなりの部屋にある。(たぶん、スキャンされるのを待っている)

目次:

  • まえがき、あるいは死者たち
  • 春を恨んだりはしない
  • あの日、あの後の日々
  • 被災地の静寂
  • 国土としての日本列島
  • 避難所の前で
  • 昔、原発というものがあった
  • 政治に何ができるか
  • ヴォルテールの困惑

    春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
    池澤 夏樹
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    やがてヒトに与えられた時が満ちて... (角川文庫)
    母なる自然のおっぱい (新潮文庫)
    楽しい終末

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