人類滅亡の危機について漠然と

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日経BPの立花隆さんの記事を読んだ。「地球存続」っていう言葉が最近自分にとってリアルに響くようになった気がする。人類存続、または人類滅亡。もし人類の感受性の偏差値というモノがあるのなら僕はたぶん偏差値51くらいのところだと思っているので、僕が今感じていることはたいていの場合すでに人類の半分近くのヒトが感じているんだろうなと思っています。だから地球存続のことをたまに考えているヒトって言うのは多いと思う。それだけそういうメッセージが世の中に増えてきているんだろう。

でもそれに対して今自分がネガティブに動くことはしなくとも、アクティブに行動してないってことはやっぱ行動していないヒトが多いってことなんだろうと思う。死ぬってわかってても運転しながら眠ることのできる動物だからね。

記事にあった。「ヒトが地球外生命体に出会うためには1万年以上存続する必要がある、という考え方もある」って。1万年先のことを考えたことがない。1000年が10回くらいで1万年ですよ。僕が思う未来っていうのは、自分の子供達の世代とその次の世代の子供達の生きる時代のこと、だと漠然と思っていることにさっき気づかされました。1万年かあ。なんか疲れちゃうね。まあその時々のヒトが、子供と孫の時代のことを考え続けてれば結果はあまり変わらないだろうけど。

僕らが1000年前のことをあまり知らないように、1000年先のヒトは今のことがわからないもんなのだろうか。それともグーグルとかのおかげで1000年後のyoutubeで1000年前の動画がばりばり見れたりするんだろうか。tubeが「動画を見る、またはアップする」っていう意味の動詞になってたりするんだろうか。tube-tubed-tuben-tubing。同じ会社が1000年も台頭し続けられる世界は健全な世界なのか。いや、1000年後にヒトはいないかもしれないって話だった。新しい歌が生まれることのない世界。今ある歌が歌われたりすることも二度とない。ビートルズのCDを流すヒトも聞くヒトもいない世界。誰もTシャツを作らず着られることもない世界。

今日は雨が降ってたうえに気温も高くて、今年初めてバイト先のオフィスでクーラーが使用されました。間違いなくこの8年で最速だろうと思います。温暖化で一番最初に来るのが水不足らしいです。水がないって辛そう。一昨日くらいのニュースで雪不足のせいで都内に水を供給するダムの貯水率がすでに全然足りていないって言ってたなあ。一昨年はたしか豪雪がニュースになってたなあ。

別にネガティブなコトを並べて誰かを啓蒙しようと思ってるわけではないです。いや別にされてもいいとは思うけど、されたほうがいいとも思うけど、なんとなく自分があらたまりたい夜っていうのは誰にでもたまにやって来るじゃないですか。

明日は北部に住んでいる友人と山登りに行く予定だったのに雨で延期になりました。さっきまで大雨警報が出てたからね。隊長の判断には逆らえません。みずみずしい緑の中を歩く自分をいい感じでイメージしていたのに残念。こういう他愛のない自然とのすれ違いなんかもきっと温暖化のせい、だと思えばそう思いこめなくもない。

一家にひとつ、車と同じくらいのノリで風力発電用の風車が備わっているのが当たり前の世界、っていう道もヒトには本当はあったんじゃないかと池澤さんの小説とかを読んでいると思ってしまう。「一家の主たるもの、風車のひとつくらい自分で直せなくてどうする!」のような風潮が蔓延した、風車に関しての技術が異様に発達した星。そういう世界はそういう世界できっと他に問題が出てくるんだろうけど。

あらら、夜が明けた。
これは昨日の夜の話です。

歌ってすばらしい。

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