「やばい」の使い方の分かれ目は僕らの世代の一個下の世代だと思います。なのでその世代の連中が「やばい=すばらしい」って言ってるのを聞くと違和感を感じます。かぶれやがってよう、なんて心の中で思っていたりします。だって君ら昔はそんな使い方してなかったんだもん。
今日のことばおじさんのナットク日本語塾で言ってました。どうして「やばい」の使われ方がここ10年くらいで逆の意味になってしまったのか?「自分の心が危ないくらいすばらしい」という気持ちが転じて「やばい」が「すばらしい」の意味で使われるようになったんだと推測されてました。
小さい頃から国語の先生とかテレビの中の年とった知識人に「最近の若いモンの言葉の使い方はなっとらん」って言われてみんな育ってきてると思います。僕は言葉が変わることにたいしてはそこまで「なっとらん」って思うヒトではないけれど、本当に言葉の使い方が変わることがあるんだなあ、っていうのを「やばい」に出会って初めて実感しました。だってこんなたくさんのヒトが「やばい=すばらしい」って言うようになるって夢にも思わなかったもんね。変わるモンだねえ。言葉の広まる力ってすごい。「すばらしい」っていう言葉だからこんなにひろまったんだろうか。「ナウい」とか「シブい」とか過去に流行った言葉もそうだったからきっとそうなんだろね。
「やばい」に比べれば「ら」抜き言葉とかは場違いな使われ方をしてない限り、僕はあんまり違和感を感じません。ちなみに僕はフォーマルな文章の時、「れる」も「られる」も違和感を与えるのなら、どちらも使わないくて済むような言い回しを心がけています。
ところで、番組内で「やばい=すばらしい」を使うヒトの年齢別分布グラフを見たヒトいますか。60歳以上のヒトで「やばい=すばらしい」を使うヒトが確か5.7%いましたよ。20人に一人以上やん。沖縄ではそんなおじいおばあに会ったことないなあ。ぜひ会ってみたい。絶対「は?」ってなるよね。
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