この戦争についての僕の考え

|

僕は「自分の住みやすさ加減」がメインテーマだと思うのですよ。
それもながーーーーーーい目で見た住みやすさ加減。
「自分」は自分の子供や孫や友達も含む。

今回の戦争に限らず、力を持っていれば好きなことをやっていいという世界は、いつ自分が犠牲者になるかわからない世界だと思う。犠牲者にならない自由がない。止められない。住みにくい世界。

今までの世界がそうではなかったかと言えばそんなことはなく、世界が生まれたときからたぶんそうなのです。これでいいの?と問われれば間違いなくよくはない。国の規模で考えたとしたら本当によくない。大規模によくない。

僕に度々引っ張り出されているイケザワ氏の言葉の中で、一番心を動かされたのは「今回の戦争を止められなければ次の戦争も止められないだろう」という言葉です。

で、この次は誰が犠牲者だろう?

今回のアメリカの理屈が通るのであれば貿易摩擦で武力行使することもあり得る、と僕は思う。この国(自分)が標的にならないと信じられるほど僕はひとつの国家を信用できない。今回のアメリカを見てさらに強くそう思う。アメリカとイラクは共通の利益があるうちは仲がよかった。

自分の国が貧乏だから、もしくは貧乏にならないために戦争するというのはこの国でもあの国でもやったことで、世界(アメリカも)はそれを非難してきた。力を持った国が巧妙にやったからってそんなこと許されるべきじゃない。

さらに、いくら今のイラクが危険でもあの時点でアメリカが武力行使を開始する正当な理由はどう考えてもない。もし今回の武力行使で危険な類の武器が見つかったとしても「ほらね」ではなくて、「なんでもっと時間をかけた大規模な査察を国連にさせなかったのか?」とアメリカを責めるべきだと思う。「なんで大量破壊兵器を見つけるためにイラク国内の罪もない人々の命が必要なのか」僕には全く理解できない。

リピート、
あの時点で武力行使しか選択肢がなかった?
そんなことないでしょ。
そういう意図を持ったヒトがそういう状況を作り出したとしか思えない。

イラクの国連決議違反も含めて、正しくないことはみんなで止(と)めなければならない。自分(や子供や孫や友人達)の未来のために止める努力をしなければならない。直接的な行動をとれないとしたら「自分が気にしている」「気にかかっている」ということをヒトに伝えるだけでいいと思う。「ヒトが気にしているということをヒトに伝える」だけでもいいと思う。冒頭に「自分はなんにもできないけれど」と付いていても付いていなくてもどっちでもいいと思う。

僕はたくさんのヒトの気持ちは国に対して影響力を持っていると思う。どの国もたくさんのヒトビトの気持ちを刺激しないよう配慮をしている。考えて発言している。世論を考えた報道がなされている。今回の武力行使の開始は止められていないけれど、次は違うかも知れない。国は、これを教訓にヒトの命を犠牲にすることを避ける努力をもっと早い段階でするようになるかもしれない。だとしたらそれは今反対の気持ちを表しているヒトのおかげだ。無力感を感じるにはまだ早すぎる。

インターネットはコミュニケーションを助ける。共通の気持ちを持ったヒトビトの行動を助けている。10年前だったら考えらないくらいの速さと規模で気持ちが広がりうる。今の状況でテレビ報道しかなかったら、なんて想像しただけでも恐ろしい。もし今起こっていることが10年後に起こっていたとしたら武力行使も止められていたかもしれない、と僕は本気で思っている。コミュニケーションはヒトをよい方向に導くと僕は信じている。

世界はたくさんのヒトがいて複雑だ。「世界的に見て、これが正しくてあれは正しくない」なんていきなり全部が割り切れるコトなんてないと思う。40億人(くらい?)の気持ちがからまった世界はいきなり変わったりはしない。今に至るまでかかった時間を考えてもわかる。

でも部分的に明らかに正しくないことを見つけたとき、それが自分や自分の大切なヒトの未来で起こらないようにひとつずつ減らしていくべきだと思う。

だから僕は少なくとも今のアメリカの武力行使に反対。

Comments and Trackbacks

my stuff

Categories

月別 Archives

powered by MTOS