偶然依存症
僕が好きな沖縄のシンガーソングライター”サッチー34”の歌うフレーズに「偶然の引力」という言葉が出てくる。この「偶然の引力」という言葉が好きです。
「偶然」は嬉しい。「偶然」というと大抵の場合よい意味で使われるコトが多い気がするのは僕が「偶然」にたいして持っているいいイメージのせいか?
「偶然」はヒトの力で狙って出来ないモノだから「偶然」的な出来事に遭遇すると運命に祝福されているようで非常に嬉しい。「ツイてる」というやつだ。嬉しいよね。お得感が強いよね。
「偶然」はそもそも偶然であるのだから「引力」なんて備え持っていない。
でも「偶然」にしてはあまりにもうまく出来すぎていることが起こる。因果関係をまったく見いだせないことが繋がって意味になる。もしかしたらヒトは実はおそろしく馬鹿な生き物だったりして、それ故に感じることのできない力が、僕やあなたのまわりを満たしているのかもしれない。僕とあなたの間を繋いでいるのかもしれない。もともと繋がっているモノ同士をたぐり寄せているのかもしれない。
そう、それが「偶然の引力」
君には見えるかい。
僕には見えない。まったく全然。
でも僕は見えないモノを信じている。
いや、ただそれが僕の信じたいコトだから信じているだけなのかも。
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「偶然依存症」というのは、「偶然」がもたらすモノでなければ喜べなくなってしまっている状態のことで、自分が自分の力だと感じることのできる力、を信用できなくなっている時にそうなる。(自分には感じられない自分の力もあるよね)
で、
僕は今、いい名前を探している。結構前から探している。かっこよく響いて、意味があって(できればひとつ以上の意味)なおかつわかりやすい名前を探している。
ああ、自分から出てきたモノはなんでこんなにつまらないんだろう。
僕は「偶然の引力」を信じたい。
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