ヒーローを探せ

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ヒーローを探せ

ちょっと前につる坊とかかとうさんが愛国心について書いていたっけ。まず国ってなんだ?というところから考えたとき、実はヒトによって違うものを想像していることが多いんじゃないかと思った。

国と言えば政府
国と言えば家族
国と言えば日本代表
国と言えば、、、何だ?

国を出たり、違う国から来たヒトたちが集まる場所に行くと、自分の国「ニッポン」を否定されたりすることがある。それは世間話程度だったり、真っ向否定だったり、冷やかしだったり、悪意アルモノだったりする。そんなときやっぱりがんばって自分の国を弁護したり肯定してみたくなる気持ちが出てくる。それはやっぱり自分がいるところだから。

自分や自分の好きなヒトビトがいる場所や文化を否定されると、やっぱ「なにおー」って思ってしまう。それはこの国が好きだからという漠然とした言葉ではなくて、自分や自分の好きなヒトビトを否定されたくない、もしくは誤解されたくない気持ちがそう思わせるのだと思う。

自分がいる場所は楽しい場所であってほしい。自分がいる場所のヒトビトはサッカーが上手であってほしい(<嘘)。なんと言ってもここは自分がいるところだから。自分の居場所は必要だ。

everybody needs to love somebody.

でも、あのおもしろかったワールドカップを見ていて僕が一番強く思ったのは「みんなヒーローが好き」ということ。かっこいいからヒーローになるのかみんながヒーローだと思っているからヒーローになるのか、とにかくみんな常にかっこいいヒトを探している。かっこいいヒトを応援したがる。(容姿のかっこよさだけではないよ)

なんで応援したくなるのかなあ?そこが自分でもよくわからない。僕でさえ知らないチームを見ていたとしても常にマイヒーローになれるヒトを探している。かっこいいヒトがかっこいいコトをしているのを見るのは気分がいい。かっこいいヒトはもうそれだけでいいやんか、と普通のヒトはあんまり思わない。かっこいいヒトにはさらに成功してほしいなあ、と願う。

人類の未知なる可能性をそのヒトや髪型に見い出そうとしているのだろうか?そういう話だろうか?そうかもしれない。言ってみれば植村直己さんを応援する気持ちと同じ。

ああ、昨日遅かったので寝不足でなんか楽しいな。予想より全然長く書いてしまった。

ちえみさんが「わたしキーンとカーンが好き」と言っていたのもすべて人類の未知なる可能性を願う気持ちからなのだ。

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