よもぎの煙って吸ったら下痢になるのか。
いい匂いだったけど。
朝の弱さなら僕の右に出るモノはいない。いやそんなことはないか。以前働いていた会社は僕が来ないと、とても大変なことになるような、うまく責任がかかった会社だった。1年と3ヶ月くらい働いて遅刻したのが1度だけ。事故をした時を除けば、会社を抜けたのが目医者に行った一回きりだった。とても忙しい職場で、要領をえない頃は食事にも出られず、朝10時から夕方6時くらいまでただひたすら電話とってお客さんと話し続けたりしていた。8時間同じことを一服もせずにできるなんて自分でも驚いた。それもあっという間の出来事。
今テレビで、沖縄のストレスのない生活習慣についてやっていた。もしその職場が地元(九州)にあってそこで働いていたとしたら僕は1ヶ月くらいでギブアップしていたと思う。残業も多くて仕事はきつかったけど、周りはいいヒトばかりだったし不思議と続いた。きつい仕事でも沖縄でやるとちょっと楽なのかもしれない。勘違いかもしれない。でも社会から受ける漠然としたストレスみたいなモノをここにいるとあまり感じない。よそから来た人間だから気楽なだけなのか。
ほんと思いつきで沖縄に来て、パソコンや車まで買えるくらいになるなんて思いもよらなかった。相変わらず僕はついている。最初に入った中華料理屋のおばちゃんにやさしくしてもらい、やさしい怪しい不動産屋さんの世話にたまたまなって、部屋もすぐに見つかった。(それまでテント暮らし、公園のおじさんたちにもやさしくされた。朝から泡盛をご馳走になった。)経済の柱である冷蔵庫は、僕のいるバードマンハウスにたまに来てくれていたウチナンチュウ大学生がくれた。軽トラで実家からわざわざ持ってきてくれた立派な冷蔵庫。卒業したから沖縄に帰ります、とたまたま挨拶をしにきてくれた時に住所と電話番号を聞いただけなのに、3年後にいきなり「今那覇なんだけど」って電話して保証人になってくれとお願いしたら快くオーケーしてくれた。結局保証人はいらなかったのだけど、すごくお世話になった。その他の家具なんてもう短編小説ばりのものすごい調達ストーリーを経てうちにやって来た。
新しい土地でいちから何かを始める経験は楽しそうな感じではあるけれどそんなにしょっちゅうはない。僕はたまたまうまくやれている(と思っている)けど、とっかかりがなくて帰ってしまうひともいるだろうし、いいヒトにめぐりあわずに印象悪く帰ってしまうひともいるだろう。すべてはヒトだ。たまたま巡り会ったヒトビトのおかげだ。こちらに来たころの良い話は僕の中にたくさんある。たくさんあり過ぎてもうあんまり教えてあげないけど、そういううれしい経験が自分のなかにあって、それが僕の「帆」みたいのものに風を送ってくれるのだ。そうやって僕は進んでいる。大切なのはいつもできるだけ大きく「帆」をはって「いい風」を待つこと。消極的に響くかもしれないけれど、そんなふうに考えるのがしっくり来る瞬間だってあるのだ。バードマンハウスでいろんなダメ人間たちに出会わなければ僕はここにはいなかっただろう。上原くんありがとう。みんなありがとう。
僕は「いい風」をたくさん知っている。
そして僕の「帆」はかなりでかい。
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