なんで世の中の人はみんな天文学者になれへんのやろ?

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「なんで世の中の人はみんな天文学者になれへんのやろ?」

これは星空が好きな僕の友人が言っていた言葉だ。彼女は神戸の人で神戸の人が「なれへん」っていうのか「ならへん」っていうのか覚えてないので、似合うほうを使いました。ちなみにこれは「なることができない」っていう意味ではなく「なろうとしない」のほう。

きれいな星空のある土地で育った人であるほど、きれいな星空にはあんまり感心がない。きれいな星空はきれいな海と違って、なくてもそんなに気付かない。ヒトやうまい魚が泳いでたりしたら別だけど(泳げたらさぞ気持ちいいだろう)。

きれいな星空を見たことがないヒトがびっしり詰まった星空を見たらそれは感動するだろう。そばで感動されると「ああ、これは感動なんだ」って気付かされてとりあえず自慢する。「これが当たり前だと思ってたー」とか言っちゃったりして。ちなみに僕はきれいな星空のある土地で大きくなりました。中学校は学年2クラス、1クラス30人くらい。

したがって、しし座流星群もそんなに気にならない。友人に誘われたら出かけたりするかもしれないけど、僕が言い出すことはまずない。友人に誘われるから行くのであって、流星群が見れるから行くのではない。たぶん。流星群が僕を動かせるのは近くの自動販売機くらいまでだろう。

前回しし座流星群が来たとき、(初めてこの流星群のことを知ったとき)友人6人くらいで遠出した。まず山の上に行ったら、雲とヒトがいっぱいで見えなかった。友人のおじさんの運転のせいで強烈に車酔いした。帰り道あまりにも山道が続くので酔い覚ましに運転させてもらった。おっさんの乱暴な運転にはもう我慢できない。

気分がさえなかったせいか、不覚にも左カーブでおっさんのワゴン車左側面を思いっきりガードレールにぶつけてしまった。「ばーん」という音がしてみんなびっくり。僕はとっさに「おおっ、R太郎さん!流星があたりましたよ!」と口走ってしまい、おっさんも笑って事なきを得た。人間日々の生活でユーモアを忘れたらいかんね。ということを強く学んだ日でした。というかあれはほんとに流れ星だった。(後で見たら白い星屑がついていた)

それからふらふらになりつつも山をおり、近くの川原の駐車場に車を止め、雲の隙間を時折流れる星屑を見て帰りました。とにかく寒かった。

こんな僕は天文学者になんてなれそうにもないので、できれば羊飼いとかになって、そこらへんの棒切れを2年くらい大切に持ち歩いたりとかしながら羊をうまく管理して生きていきたい。山道を毎日歩けば健康にもいいし、夜空の下、人里離れて食べる弁当もヨーロピアンな感じでうまそうだ。いつも犬を一匹連れていて素朴な味のするチーズとかを一切れ分けてあげたりするのだ。たまに空を見上げて、でもきれいとかは思わずに、この世界は一体なんなのだ?という疑問が無意識の部分を一瞬横切ったりたりするのだけれどすぐに忘れて、迷える子羊などがいないか岩から降りてすぐに歩き出す。夜の暗い森を歩いても全然怖くなくて、小動物に出くわしたらナウシカのようにてなづけるのだ。

よし、まずは棒切れ2年からだな。

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