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コーヒーを初めて自分で炒れたのはいつのことだったか、もう覚えていない。

紙フィルターを使って、いわゆるちゃんと炒れるというやつだ。なんだこれは、いつもと違う。テレビの中のコーヒーだ。とちょっと緊張した気がする。なにがそうさせたかというと紙フィルターというのは端っこを折り曲げるとき、折り曲げる方向まで決まっているからだ。(箱にはそう書いてある)間違ったら破れたりするのだとモノ心がつくまではそう考えていた。世の中のしくみが多少はわかるようになった今となっては、裏返しに折ろうがそんなことまったく気にならない。でも子供の心にはそんなことは理解できない。餌をあげようとしても逃げてしまう野良猫の心よりもわかる力がない。

そのくせ妙に想像力があったりする。おかげですばらしい世界を見たりもするが、おかげで怖い世界を見たりもする。

屋根裏のねずみの足音なんて怖くてしょうがないはずだ。

僕のすごい思いこみを紹介しよう。

僕がまだたぶん幼稚園生くらいだったころ。その時僕は両親と汽車に乗っていた。僕もまだそんなに歳ではないけれど(1969!)なにぶん田舎だったので、高校を卒業するまでは国鉄、もしくはJRのことを汽車と呼んでいた。幼稚園児の僕の思いでのなかでは汽車はなぜか蒸気機関車。いわゆるSLだ。今、横にいるなかしゅうに聞いても僕は蒸気機関車を知っている年頃ではないらしいのだが、記憶の中ではSLだ。トンネルに入ったら窓を閉めていた。板張りの黒い床の車両だった。駅のフォームには大きなレバーがあって、駅員さんがそれを倒して軌道を変えていた。汽笛を聞いていた。とにかく汽車だった。

その汽車はある駅に止まっていた。夜。一番うしろの車両。暇だった僕は車内をうろうろしてとりあえず端っこ、一番うしろのうしろまで来た。当然扉がある。扉は何色だったろうか。取っ手は今と同じ銀色だったと思う。自分が一番うしろの車両にいることなんて知らないので、子供の僕はその他の子供と同じ様に新しい世界を求めてなんとか扉を開けようとした。子供の僕に力がなかったのか、鍵がかかっていたのか扉はなかなか開きませんでした。これは開けてはいけない扉なのだと思い始めても僕は一生懸命取っ手を動かし続けました。そのうち発車の時間が来て汽車は動き始めました。

その瞬間、取っ手が「がきっ」てまわって扉が開き外が見えました。真っ暗で次の車両はもうありません。ただとなりの線路にすれ違いのため待っていた反対方向行きの汽車が止まっていました。その止まった車両を見て、こどもキーポンが思ったのは、

「のこりの車両を切り離してしまった!」

ということでした。汽車はごとごと揺れながらすごい速さで進み始めているのに、あの車両達は置き去りにされている!なんということをしてしまったんだー!と、僕は思っていました。残された人達はどうなるんだー!と、僕は思っていました。暗闇の中、置き去りにされた車両の赤い灯り2つがどんどん遠くなっていきました。

このことは長い間キーポン少年の一番の秘密でした。
勘違いだということにいつ気付いたんだろう。全然覚えていない。


モノ心ついたときには汽車は赤いディーゼル機関車になっていた。赤かったのは覚えているがどんな形だったか細かいところは思い出せない。また一時したら赤いのも見なくなって、車両がそのまま走っていくやつに変わっていた。今僕がいる沖縄には汽車も電車もない。(じきモノレールができる)別に無くてもそんなに寂しくもない。でも汽車に乗っている間のあの逃げ場のない暇な時間も悪くはない。と今思った。

自分が操縦しない大きな乗り物もたまにはいい。

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