June 2016 Archives

怪我の顛末

|

ゴールデンウィークにひとりでヨーロッパに行きました。初めてのヨーロッパ。古い友人にもやさしくもてなしてもらうなど、なかなか楽しい時間を過ごしました。んですが、最後に訪れたポルトガルで初めてのサーフィンに挑戦している時に怪我をしました。個人的に結構大きなイベントだったのでその顛末。後半は「痛い」ばっかりです。

初心者なので浅いところでひたすら立つ練習を繰り返してる途中で、疲れのせいかなぜか無防備に頭から浅瀬に突っ込んでしまいました。なにもないと思っていたところにいきなり地面。背中に激痛、左腕全体が熱くなってるのを感じてこれはまずいかも、とドキドキが止まらない。「ここは地球の裏側で家からめちゃくちゃ遠い場所、そしてお前はひとりだ」ということがすごく恐ろしいことのように感じるアレ。

Untitled

痛いんだけどどこが痛いのかよくわからない。でも立っても座ってもとにかく痛いので息をフーフー言わせながら駐車場まで移動して柱にもたれて、痛みなのか気持ちなのかわからないけど落ち着くのを待つ。途中、サーフィンスクールのお姉さんや近くに居たその友人ぽい人達が氷や軟膏を持ってきてくれたり。みんな「大丈夫?」と聞いてくれるけどあんまり大丈夫な気持ちではない。けど「大丈夫」と言うしかないないので「痛いけど大丈夫」と言い続けた。

そういえば氷をくるんだタオルで背中をゴリゴリとマッサージしてくれたけど、あれは痛くてちょっとつらかった。あれがよかったのか悪かったのかは誰にもわからない。

とにかく宿に帰るしかないので痛みを我慢して「ギギギ」みたいな声を出しながらなんとか着替えて助手席に座る。絶対自分では車から出られないと思ったけど、薬局で降りようとしたら実際助けなしには席から出られなかった。インストラクター兼送り迎え担当のディオゴおすすめの湿布薬を買って薬局の前で貼ってもらう。ディオゴは自分が捻挫した時もこれを貼った、と言っていた。足首だったらよかったのに、と少し思ったけど足首だったとしても同じように辛い思いは変わらなかったと思いなおす。

行きにはなんとも思わなかった4月25日橋が長く感じた。「橋の名前は独立の日からとった。革命では血は流れなかった」ということを朝反対車線を運転するディオゴが教えてくれた平穏な時間を思い出す。ああ、あんな平和な時間はしばらくは味わえないのだな、と思う。はあ。

宿に戻って横になった。都合の悪いことに宿のベッドは二段ベッドで、今朝まで何も気にならなかった細いパイプのハシゴを登るのが辛かった。その後ベッドを出るのが一大イベントに。

右を下にして左腕を胸の前に立てる姿勢だとかろうじて眠れた。2日後にはパリ行きの2時間位のフライト、そしてその翌日には台北行きの13時間のフライト。この体の状態で帰れるのだろうか?と思ったけどとりあえず明日考えようと思ってずっと横になってた。

前の日になぜかサンドイッチ10個分くらいのパンと野菜とチーズを買いだめしていたので、お腹が空いたらサンドイッチを作って食べた。ずっと部屋で静かにしてるので家主が心配して「おまえ姿見かけないけどいるのか?大丈夫か?」とメールが来た。事情を伝えたら晩ごはんを作ってくれた。野菜スープと焼きそばみたいなの。

Untitled

ポルトガル最終日。フライトに備えて痛み止めを買っておくことにした。薬局で、painkillerをポルトガル語に翻訳したスマホの画面のスクリーンショットを見せ、サーフィンして頭を打つパントマイムを披露。カウンターに居たえらい美人な白衣のお姉さんがニコリともせず英語で応対。首は動かせるのか?など聞かれた後にオシャレなバファリンみたいな箱を持ってきて「1錠飲んだら8時間開けること」的なメモを書いて渡してくれた。今貼ってる湿布は貼っといたほうがいい、とも言われた。

Untitled

その後、なんとなく少し元気になって近くの大聖堂を見に行ったらすごく疲れた。宿に戻って少し休んでスーパーでおみやげを買いに行った。重くないおみやげ。

翌朝リスボン出発。家主が呼んでくれていたタクシーで空港まで15分くらい。この時に乗り物の中で座る姿勢がとてもつらいということを知る。途中で運ちゃんに「大丈夫か?」と聞かれる。パントマイム披露。

2時間の飛行機。1時間遅れ。背中、左肩から腕にかけてギリギリ痛む。明日の13時間のフライトのことを考えてひるむ。

オルリー空港到着。でかいカートに少ない荷物を載せて押して歩く。カートにブレーキかからないように取っ手を上から抑える動きが結構痛い。

予約していた乗り合いシャトルの人となかなか落ち合えず。メールに書いてあった指示通りに電話するも、小銭はないし公衆電話のクレジットカード機能は壊れてるし「さっきあなたのこと探してる人がいたけどどこか行っちゃったわよ」みたいなことを親切な人に教えられて焦るなど。なんとか落ち合えてパリの宿まで車で15分くらい。痛かったけど、電車乗るとかありえないと思ったので我慢できた。

パリの家主は「背中痛いんでしょ」と晩飯作ってくれた。非常に申し訳なかったので「スーパーに行くので何か食材買ってきます。なんでもいいので必要なのがあったら言ってください」と伝えると、遠慮した後に「じゃあお米がないのでお米お願いしようかしら」と言われ「お米って重くね?」って思って顔がひきつったけど家主はそれには気づかずお米の銘柄と安いスーパーの場所を教えてくれた。

Untitled

Untitled

お米は平積みで安売りしてて1袋1kgが2ユーロもしなかったのでがんばって2袋買って帰った。家主さん嬉しそうだった。個人的にはパサパサの細い米は嫌いじゃないです。

大イベントの朝、空港までUber使おうと思ってたけど日本でSNS認証やってなかったせいで使えず。電車を乗り継いでいく決心をして、スーパーの近くにあったメトロの駅へ。駅員さんに乗り換えの駅を尋ねる。「4つめでBラインに乗り換え」と簡潔に教えてくれた。土曜日で人が少なくてよかった。LCC利用しまくったせいで荷物が小さくてよかった。

シャルル・ド・ゴール。出国の列がめちゃくちゃ長い。乗り遅れそうになって職員に詰め寄ってる人がちらほら。列にいる間、荷物を長時間抱えておけないのでリュックはもう床において足で蹴飛ばしながら進む。余ったユーロの両替済ませてちょっと離れた搭乗口のトイレで気持ちの整理をして戻ったらいつのまにかみんな搭乗してて誰もおらず焦る。

飛行機はまあまあ空いていて通路側の空席に移動。寝たら痛いので寝ることを諦める。ひたすら立ったり歩いたり挙動不審だったけど痛いのでしょうがない。オーストラリアの映画見る。プリシラの二番煎じみたいで特に面白くない。スマホのゲームで指を動かすと痛みが少し紛れた気がした。これは神経的なものなのか、と思う。

早朝時間に台北着。次のフライトは夕方。入国してバスのりばで台北の街まで出るか30分くらい悩んで自重。約束してた友人に断りを入れて、荷物を預けて外のベンチで2時間くらい横になって寝た後、出発までゾンビのように空港内を徘徊。最後に台湾のご飯食べるのを楽しみにしてたのに非常に残念。

最後のLCCで那覇まで1時間ちょい。せまくて痛かった。

空港から家まで車。揺れが痛かった。

翌朝、整形外科でレントゲン。骨に異常なし。痛み止めもらって経過観察。

一週間後に一応神経科のある病院に。頭異常なし。でCT撮ってもらったら「あー、これ痛いでしょー。背骨3箇所折れてますよー」と陽気に言われてその場で首にサポーターつけられる。2週間後にまた来てください、と。前の病院、骨に異常なしってどゆこと。

この2週間で折れてる場所の痛みは回復傾向。それに伴って背中から腕にかけてのギリギリ痛も一応回復傾向。でもこの前試しにバイクに乗ったらまだめっちゃ痛かった。人差し指と中指のしびれ感というかナム感はあんまり変化なし。

サポータしてると、とにかく日頃よく行く場所でいろんな人に声かけられる。スーパーとかコンビニとか。単に好奇心で話しかけてるだけなんだろうけど、みんな優しい人に見えてきます。出会いを欲している方に超おすすめです。

もう夏だし、また早く海に漕ぎ出したい。走りたい。そしてまたポルトガルに行ってサーフィンして苦い記憶の上書きをしなければ、と思っている。でなーだ。

PHOTO - 14_1

--
アルバム Europe 2016

my stuff

Recent Entries

Categories

月別 Archives

powered by MTOS