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2002年08月05日


 人は死んでしまうので、なんとか無駄な時間を過ごさない様に努力するのです。
 いや、どうなんだろう。われわれの努力は何に向かってなされる努力なのだろうね。
 死なないための努力と、生きてる時間をより良くするための努力と、その他の努力があったとして、僕は何に一番時間を費やしているかというと、「死なないための努力」です。

 っていうか、なんでこんなテーマでいきなり書き出してるのか自分でもさっぱりわからない。まあ、でもわからなくたっていい。わかることのほうがずっとすくない。

 死なないための努力って一番シビアな努力なんです。なぜなら失敗したら死んじゃうからです。ね、事の重大さに気づきましたか?命がけとはこのとこです。

 生き延びたいという強い意思こそが表現の原点である、とちょっと前まで僕は固く信じていたのですが、どうも別にそうではないらしく、そもそも原点なんていうつまらない概念すら表現すると言うシステムには今や必要ないようです。
 それはとても素敵な事です。表現は、生死さえも越えて、人間など一人もいない水平線の向こうでタップダンスを踊るのです。それがどんなに素敵なタップダンスかなんて、誰も想像すら出来ないし、想像できたときには次の地平線に行っている種類の物です。

 さて、ここに一匹の金魚が泳いでいる。四角い水槽を悠然と泳いでいる。彼の世界はこの小さな水槽の中のみ。たった一人で、1日2回のえさの時間を待っている。
 彼のひれは、にじむようなオレンジでとても美しい。でもそれを見ているのは時空を超えた世界の、人間だけです。
 その人間は、金魚に名前をつけて可愛がります。仮にマックとつけたことにしよう。
 人間はマックに日夜話しかける。今日会った素敵な女の子の話。会社で上司に理不尽な怒られ方をした話。次の人生の展望。昨日読んだ小説の感想。破れてしまった靴下を見られた感触について。
 マックは思っている。そして、僕の人生はなんなのだろう、と。このまま美しいまま死んでいくのか、と。
 次元の違う見つめられ方のまま死んでいくのです。けして不必要な生ではなく、かといって彼自身にとってその意味を見出すのは難しい。
 考えるなんて無駄だっていえばそうだし、そうじゃないっていえばそうじゃない。

 冷蔵庫の音が部屋を支配していて、うるさくて何も出来ない。
 何も出来ないのです。文字通り。こうしてここに日記をやっと書きました。
 ははは。

Posted by kato takao at 2002年08月05日 03:19 | TrackBack
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