blogを日常的にこつこつ書くという習慣もすっかりなくなってしまった。
なんとなくPCの前に座ってぼんやりしていたら、つらつらと文章が書きたくなってblogを書いてたけど、もうそんな衝動が起こることは少ない。
テキストを書くことが日常ではなくなっちゃったな。
音楽も日常ではなくなった。
では今いったい何をやってるんだろう。
10年位前に仕事を辞めた。
楽しい仕事だったし、すごく勉強にもなったけど、もう音楽と文章以外でお金を稼ぐのはやめようと思ったのだ。
それから、こつこつと音楽を作って、こつこつと文章を書いて、なんとか自分ひとりくらいは生きていけるようになって、雑誌を作って、バンドを作って、イベントを作って、会社を作って、今なんとなくぼんやりと稼いでいる。
別にいいさ、と思う。
そのときそのときの一番楽しいことをやってればいい。
それで、お金が稼げれば問題ない。
今は特になにも問題がなくて、いろんな人からいろんな仕事がやってきて、僕はいろんな場所へいって、いろんな人と会って、いろんな話をする。
ある種の人たちはよろこんでくれてお金もくれる。
ある種の人たちは期待をこめた目で僕からお金を取ろうとする。
僕を使ってお金を稼ごうとする人もいる。
それらはすべて楽しいことだ。
お金が動く量は幸せの動く量と同じだ。
たぶん。確信はないけれど。
稼いでいれば全部うまくいく。
文句言う人もいない。
稼ぎすぎて困ることもないだろう。
だから稼いでしまえばいいのだ。
いつかなにかに届く。
月だって買えるかもしれない。
SCRAPの発行がものすごく遅れてしまった。
僕の原稿がめちゃくちゃ遅れてしまった。
仕事としてテキストを捕らえていないのかな。
書きたいときに書きたいことだけを書いていたいのかな。
じゃあ、俺の書きたいことってなんなんだろう。
今思い出した。テキストの技術が急激に上がるときがある。
自分でそれを明らかに自覚したときがある。
そのとき僕は毎日2本か3本取材をして、1000文字のコラムを2本か3本書いた。
それを一年続けたとき、僕のテキストは詩じゃなくて文章になった。
二年目に指が勝手にテキストを書くようになった。
どんなことも読み物に出来るような気がした。
どんなにつまらないことでも、俺が書けば物語になるような気すらしたのだ。
でも、技術がどれだけ上がっても、書けない物語があるって気づいたのはその5年後だ。
ひょっとすると疲れてるのかもしれないな。
シンプルさが足りないのかな。
こんだけ楽しいことだけやっていて、疲れてるなんて申し訳ないな。
忘れてしまったことを思い出したいなどと思わない。
また、新しく気づけばいいのだ。
気づけないなら、その程度のことだったってことだ。
せめておれは愚かであることに気づいて恥じよう。
そういえば、長いこと夕暮れを見ていない。
明日は、どんな夕焼けかな。
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