« 2週間以上書かなかったのか | Main | ボロフェスタについて、あと今日ソロライブ。 »
2009年07月27日

 今日はSCRAPのイベント。
 いくつかの接続詞にたいして、心の動く一文を紡ぎだそうというもの。
 こうして枠を決めてテキストをつくって、そこに意味を見出そうってのはおもしろい企画だと思う。
 可能性を狭めた、限りある世界でのクリエイティブは、実はすげー可能性あるんだと思ってる。

 僕は司会としてずいぶんいろんなことをしゃべった。
 身を削るようにしゃべっていたとスタッフに言われた。

 じつはまた僕の作ったテキストが一位だったんですよ。うふふ。
 同率だったけど、よかったなあと思いました。

 イベントが終わって、スタッフがずいぶん残っていて、朝まで遊んで、今帰ってきて、やっとひさしぶりに孤独がやってきた。
 僕はとても一人だ。見事なまでにひとり。
 強がるでもなく、こびるでもなく、ただ一人で、NHKの人に買ってもらったビールを飲んでいる。
 あんまり眠くなくて、いつまでも歌が歌えそうだよ。

 悲しい話がやってきて、僕を通り過ぎて、僕はそれが通り過ぎた後で、まるで他人事みたいにやり過ごそうとしたのだけど、やっぱり無理だった。
 僕は毎晩、普段の倍ほどのお酒を飲んで、無駄な話に熱くなってる。
 無駄な話をするのは、前世紀以来です。
 僕はいま、無駄な話のために、全財産をかけてもいい。

 一人でここにいても、誰かがどこかでそっと僕を思ってくれている。
 それはあたりまえのことではないのだなあ。
 
 僕らはいくつかの選択をした。
 クールに選んだつもりだったけど、クールに生きていけるわけじゃない。

 大切なことが僕にはあって、それが誰かにとっては大切じゃないことは知っている。
 それでも僕は、それが大切であると伝えてきたし、その大切なこと自体が僕だと思ってた。
 僕の周りにいる誰にとってもそうであるなら、あらゆる関係性は守られるだろう。
 そうでないから、ほとんどの関係性は守られないんだろう。 

 あるいは、同じ歩幅で歩けさえすればそれでいいと、うそぶけばよかったか。
 
 俺はわかってくれと叫び続けるが、誰のことも分かってあげられない幼児だ。
 こんな風に生きて行って、そのうち死ぬんだろう。

Posted by kato takao at 2009年07月27日 08:07 | TrackBack
みんなのコメント

例え大切なものが同じではなくても、大切な気持ちは同じ大きさでわかってもらえれる
そういう人がきっといて、きっといつか出会うための毎日のいろんなことだと
思いたいと思うのです

Posted by: けい on 2009年07月27日 10:23

カトーさんの隠れファンです
こそっとカトーさんのことを思い出してる一人ですよ、っと。

Posted by: husky on 2009年07月28日 13:29
comment する

















*POSTを押しても自分のコメントが見えない場合、一度ページの更新をしてみてください。
*HTML不可です。
*アドレスは入れると自動でリンクになります。
*管理者の判断でコメントを削除することがあります。