今日はSCRAPのイベント。
いくつかの接続詞にたいして、心の動く一文を紡ぎだそうというもの。
こうして枠を決めてテキストをつくって、そこに意味を見出そうってのはおもしろい企画だと思う。
可能性を狭めた、限りある世界でのクリエイティブは、実はすげー可能性あるんだと思ってる。
僕は司会としてずいぶんいろんなことをしゃべった。
身を削るようにしゃべっていたとスタッフに言われた。
じつはまた僕の作ったテキストが一位だったんですよ。うふふ。
同率だったけど、よかったなあと思いました。
イベントが終わって、スタッフがずいぶん残っていて、朝まで遊んで、今帰ってきて、やっとひさしぶりに孤独がやってきた。
僕はとても一人だ。見事なまでにひとり。
強がるでもなく、こびるでもなく、ただ一人で、NHKの人に買ってもらったビールを飲んでいる。
あんまり眠くなくて、いつまでも歌が歌えそうだよ。
悲しい話がやってきて、僕を通り過ぎて、僕はそれが通り過ぎた後で、まるで他人事みたいにやり過ごそうとしたのだけど、やっぱり無理だった。
僕は毎晩、普段の倍ほどのお酒を飲んで、無駄な話に熱くなってる。
無駄な話をするのは、前世紀以来です。
僕はいま、無駄な話のために、全財産をかけてもいい。
一人でここにいても、誰かがどこかでそっと僕を思ってくれている。
それはあたりまえのことではないのだなあ。
僕らはいくつかの選択をした。
クールに選んだつもりだったけど、クールに生きていけるわけじゃない。
大切なことが僕にはあって、それが誰かにとっては大切じゃないことは知っている。
それでも僕は、それが大切であると伝えてきたし、その大切なこと自体が僕だと思ってた。
僕の周りにいる誰にとってもそうであるなら、あらゆる関係性は守られるだろう。
そうでないから、ほとんどの関係性は守られないんだろう。
あるいは、同じ歩幅で歩けさえすればそれでいいと、うそぶけばよかったか。
俺はわかってくれと叫び続けるが、誰のことも分かってあげられない幼児だ。
こんな風に生きて行って、そのうち死ぬんだろう。
例え大切なものが同じではなくても、大切な気持ちは同じ大きさでわかってもらえれる
そういう人がきっといて、きっといつか出会うための毎日のいろんなことだと
思いたいと思うのです
カトーさんの隠れファンです
こそっとカトーさんのことを思い出してる一人ですよ、っと。
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