彼女が死んでしまったというニュースを聞いたのはいつだったか。
数ヶ月前だと思う。
別に聞いたときに何も思わなかったし、哀しくすらなかった。僕はそれをただの事実として受け止め、それ以上の感情は動かなかった。
「彼女死んだらしいよ」と友人はいった。
「へえ」と僕はいった。もうずいぶんとビールを飲んでいた。飲み始めて数時間が経っていた。真夜中よりも夜明けに近い時間帯。
「お前仲良かったよな」
「うん」と僕は言う。確かに僕らは仲が良かった時期があった。
「最近連絡とってた?」
「いや。もう5年以上会ってない」
僕は彼女がある特殊な職業に就いて以来会っていない。その職業が会うことの支障にならなかったといえば嘘になる。わざわざ、昔仲の良かったSM嬢に連絡するってのは、いささか勇気のいる行為だ。
「どうやって知ったの?彼女の死を」と僕は聞く。
「みんな知ってるよ。大騒ぎといってもいい。彼女が個人的に抱えていた顧客もいたらしくて、そのリストが見つかったとか、見つかりそうとかで、彼女に関わっていた人間は大騒ぎだよほんとに。」
「ふうん」
「お前が知らなかったとは意外だったな」
「多分彼女も俺を避けてたからね」
「ふーん。なんで?」
「さあ。しんどいんだろ、俺と話すと。見なくていいものを見ちゃうってよく彼女は言ってた」
「ははは」と友人は笑う。「見なくていいものを見ちゃうのがしんどけりゃお前とは会わないほうがいいな」
ふふふ、と僕も笑ってみる。でもちょっと傷ついている。
「どんな死に方だったのかな」と僕。
「さあな。まあまともな死に方じゃないだろ」
「まともな死に方?」少しだけ指が震えた。
「そんな顔するなよ。まあ一般的な死に方ってことさ。病院のベッドで家族に見守られながら死にそうにない女だったからね」
「死んじゃったらおんなじだ」
「うい。死は平等だ。どうせみんな死ぬ。つまりみんな平等だ」
彼の目が少し細くなる。指をこめかみに当てる。少しだけ偽悪的な物言いになる。
「自殺かな」と僕は言う。
「そうかもしれん。でもわからん。なぜ死んだかは誰も知らない。話題になってない。それよりも彼女の死が残されたものに与える影響の方がずっとトピックスがあるんだよ」
「自殺かもしれないね」
「そうだね」
「自殺じゃなかったら事故かな」
「そうかもね」
「病気だったらなんかいやだな」
彼はくすくす笑いながら「わかるよ。病気で死んで欲しくないタイプの女だったな。もっと劇的に、文学的に死んで欲しいような」という。
僕はそれには応えない。
彼女はSでもMでも出来ると言っていた。祇園でホステスをしながら、セクシャルな店でも働いていた。週に3日はホステス。週に3日はSMクラブ。残りの一日の内の3割くらいを僕と過ごした。
「人間には必ず二面性があるの」と彼女は言った。「表の顔と裏の顔、暴力性と平和性、男性的であり女性的である人。」
誰にでも1つの特性と正反対の特性があり、その両方を持ち合わせている特性こそがその人間の本質なのだという。
「それがわたしはサドとマゾなの。」と彼女は少しだけ笑っていった。安い居酒屋。焼酎のお湯割り。二杯目なのにもう目がとろんとしている
「僕はなんなんだろう」
「あなたの二面性は、明らかよ」彼女は割り箸で焼酎に入った梅干をつつきながらいう。「社交的な引きこもり」
あっはっはって二人で笑って、僕は昨日のプレイで傷だらけだという彼女の背中を叩いた。痛い!と彼女は叫ぶ。君が言い当てたその本質は、これからの僕をきっと変えていくだろうよ。
半年前に死んだSM嬢を思い出している。
彼女は僕を何度かやんわりと誘ったが、僕はやんわりと断った。
SとかMとかに踏み出すには社交的過ぎるんだよ、と僕が言うと彼女は「目の前にあるクリエイティブの種を掴めないなんて、たいしたミュージシャンになれないわよ」といった。確かに僕はSMに関する曲は創れない。チャンスを逃してしまった。
最後に会った時に彼女はすごく酔っていて、すごく泣いて、すごくいやなことをたくさんいった。
僕もいやなことを言い返した。
最後のセリフだけ覚えてる。
「あなたがわたしに言ったひどい言葉だけ覚えてる。あなたはわたしに見なくていいものばかり見せるの」
勝手にしろ、と思って僕はきびすを返した。
それが最後の風景。彼女はその後も叩かれ、縛られ、その他さまざまな方法で辱められた。そしてそれと同じくらいの回数辱めたんだろう。
「自殺かな」とまた僕は言う。
「わからんよ。うるさいな」と友人はいう。ちゃんとつきあっていう。
「わからんよな。事故か自殺かな」うん。病気じゃないような気がするんだよなー。やっぱり。
「殺されたのかもよ」
「殺人事件か」びっくりして僕はいう。その線は考えてなかった。
「いや、自殺、事故、病気のほかに可能性ないかなあと考えたら、犯罪が残ってたから」
なるほどね。といいながら、なんだか僕はそれが一番しっくり来るような気がしてくる。
彼女の細い首を誰かがそっと絞めたのだ。
まるである種の性的なプレイの一環のように。
でも確かな殺意で。
破滅的な快楽とともに。
「ねえ」と僕は彼女に聞いてみたことがある。「普通のセックスはしないの?」
彼女は応えた。「普通って何?」
そういえば僕は、どのセックスが普通でどのセックスが異常かを説明できない。
彼女は数ヶ月前に死んだ。
理由はわからない。
ぐびりとのどでビールが鳴った。
「なあお前。あいつとセックスしたことあるの?」と友人は酔眼でいった。
「ないよ」と僕は即答した。早すぎたかな、と思った。
「そうか」と彼は言う。その返事も不自然に早かった。
僕らはビールの泡を眺めながら、あるSM嬢のみだらな死を思った。
そのことを数ヶ月ぶりに思い出した。さっき。
たぶん僕は彼女のことが好きだった。
でもそのことにそのとき気づかなかったから、
僕はSMの曲が書けない。
ここでSMのシーンを描写することも出来ない。
もちろん「ふつうのセックス」の曲だって書いたことないんだけど。
*POSTを押しても自分のコメントが見えない場合、一度ページの更新をしてみてください。
*HTML不可です。
*アドレスは入れると自動でリンクになります。
*管理者の判断でコメントを削除することがあります。