造形大学で、詩のフリーペーパー制作に関する講義をして、学生の詩を書く姿勢ってのがとても面白かった。
詩を書く理由を考えなくても詩が書けるってのは素敵なことだ。
詩って、自由であるが故に、あらゆる詩人がその自由さの中に不自由さを見つけ、常にそこから脱出し続けようとする不毛で不断の努力が人の心を動かすのだと僕は信じて疑わないのだけれど、10代の人の描く軽やかな自由さは心地よくてこそばゆかった。純粋に詩的だし、かっこ悪くてかっこいい。つまり最高だ。
僕は詩人ではないと思う。たぶん。
詩人でもあると思うけれど。
でも、純粋に絶対に詩人ではない人間なんているのかな。
あらゆる人がミュージシャンであるように、あらゆる人が詩人だ。
今日、くるりの岸田さんが言っていた。
「いまや音楽は発展して、アマチュアでもすごい音が作れる。でもアマチュアには音楽って作れないんですよ。それをプロである僕らがやらなくちゃならないと思うんです」
僕は「そうですね、わかります」と応えたけど、プロであることをこんなに強く意識したことはないなと少し恥じた。
自分の中にある風景を明確に厳格になんの言い訳もなく音楽に焼き付けること。
それを成し遂げたのが今回の彼らのアルバムだと思う。
本当にすばらしかった。くやしくて、眠れないくらい。
今日本人に「すばらしすぎていらいらしました」って言ったら、「そんなこというの加藤さんだけですよ」って言われた。そんなの嘘だ。日本中の心あるプロのミュージシャンはみんな歯噛みしてくやしがってるさ。
今日のささやかなくるりの二人との会話は7/4のradio scrapにて放送されます。
よかったら聴いてください。
ちなみに、詩の話に少し戻ると、プロとアマの差はあるかもしれないけれど、詩的な言葉と詩的でない言葉に差はない。
あらゆる言葉に詩が内在している。
言葉はつまり詩で、詩はつまり君だ。
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