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2006年09月27日

 僕が僕に出来ることはとてもたくさんあるのだけど、僕が僕以外の人に出来ることはそんなにたくさんないから、せめて気持ちよく送り出してあげようと思う。

 せめて、ここですごした時間や、培ったあらゆる物が今後の何かにいかされますように。
 
 そして、いつでも帰ってきたかったら帰ってきたらいいから。
 僕ならばここにいる。

 そして、一方その僕はといえば、遠くを眺めていたりなんかして。
 SCRAPの最後の原稿をあげ、お見舞いに行き、メールの返事を書き、ボロフェスタの仕事をいくつかして、気絶をリアリティのある想像として認識しながら死ぬ気でゲームとかもしてみた。いくつかのコラムを書き、ラジオに出演して、読むべき文献を読んだ。SCRAPの会議もしたし、その後でみんなで少しだけ飲んだ。僕はビール一杯でもう酔っ払って、とてもしゃべった。誰かとしゃべることでしか、自分と世界との距離感を測れない日もある。今日はそうだった。

 彼女はといえば、遠くを眺めながら。
 ささやかな祈りを、今日もささげてくれているんだろう。
 一人ぼっちの寂しさを抱えながら。
 離れていくことの切なさと必要性を感じながら。
 その尊さだけは決して忘れることはない。

 彼は青白い顔をしながら、僕に訥々と話し、僕は時間をコントロールすることが出来ず、しどろもどろだった。
 責任の話と、ユートピアの話が両立するべき世界の話。もしくは現実と夢の話だ。

 傷ついているのは僕だけではなく、君だけではなく、ましてや世界中では絶対なく、もはやそれは共通の幻想ですらあるのかもしれない。哀しむというメソッド。カリカチュア。その対義としてのリアリティのある歓喜。
 
 なぜだろう。 
 僕がいなくなってしまう予感が消えない。
 でも、僕がいなくなるまでは創り続けようとさっき決めた。

Posted by kato takao at 2006年09月27日 05:22 | TrackBack
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