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2005年05月08日

 今日は一日家でゆっくりとしました。
 2度だけ外に出た。
 1度目はビールを買いに。
 2度目は焼酎を買いに。
 
 ずっと一人で飲んでいて、本を読んでいて、少しだけ仕事をして、メールを書いたりしたけど、後のほとんどの時間をギターを弾いて過ごした。なんでこんなにギターに触ってるのにうまくならないのか。
 自分の中のどこかで、上手くならないための努力をしているとしか思われない。

 テレビを少しだけ見た。
 テレビの向こうの美しい顔をした女が、その美しさによって被った哀しみにだけ興味がわいた。

 僕はきれいな人が好きですが、自分のきれいさをきちんと知っていて、そのためにささやかな、感じのいい努力をしている人が好きです。「趣味はお祈りと健康管理です」とかいう女の子はとても好きです。

 僕の同年齢の女性が30才という年齢の重大さに打ちひしがれています。
 そんなバカな、と僕は思う。
 これからなんでもできるのに、悲しみなんて本当につまらない。

 女は違うのよ、と君はいうけれど、もしそうだとしても、今からできるかもしれないことに年齢は関係ない。

 いつまでも、いまからが輝ける時だ。

 とか、だめか。かっこ悪いか。いくらなんでも。
 昨日よりひどい明日を何度も経験してきて、未来は明るいなんてとても信じられなくなって、僕も今日部屋から一歩も出なかったけど。でも、とはいえ、「明日かもしれんな、X-DAYは」なんて思えちゃう自分はいないのか。

 いや、残念ながら、僕の中にはそんなオプティミスティックな俺はいないのだけど、いないけど、いないからって、その事に甘んじるつもりはないぞ。

 僕が東京の町を好きなのは、僕の年くらいの女性が、ものすごくきちんとした格好で、すばらしく良い姿勢で、きれいな歩き方で歩いているからです。
 僕はうっとりとそれを眺めながら、自分の背筋が少しずつ伸びていくのを感じます。
 その姿勢を手に入れるために彼女達が感じた悲しみや、たった今押し込められているやるせなさも、女性アスリートってだけで、「うつくしき女の戦い」とか書かれちゃう古臭いパブリックイメージも、そしてそのすべてを覆っている黄土色のさまざまな歴史的な記憶や、生物的な情緒や、本能的なリアクションをこっそりとスーツの中に隠している感じが大好きです。
 つまり、そこにある矛盾がうつくしすぎて、僕は時々東京の街を歩きながら気が変になりそうになります。

 僕はきれいな10代は信じませんよ。
 いや、その刹那的なきらめきとしては認めるけど、恒常的なものではない。
 きれいな30overこそが好きです。
 きれいな60歳の方とか、ほんとにセクシーです。

 鬼も十八番茶も出花と申します。18なんてなんにもしなくてもきれいなんですよ。
 でもそんなのつまらない。
 若さっていう愚かなパブリックイメージがなくなってからの美しさがほんとの美しさですよ。もうそれについては力説。

 毎日15時間働いて、そんなに好きな仕事じゃないけど、でも給料もそれなりにいいし、まったくやりたくない仕事でもないし、いろんなしがらみとかもあるし、まあ、それなりに満足かな、っていう人生は個人的にとても好きですし、それはそれで応援しますが、その生活の中で、とはいえこのままでいいのか、こんな風に年を取っていって私はほんとに後悔しないのか、未来は僕らの手の中なのか、「歩いていこう」って歌ってたJSWは今どこを歩いてるのか?ってなことを考えないのもまたおかしいと思うのです。
 怖いものなんて何もないです。
 生きてるうちが花で、死んだらもうそれまでです。
 「花の命は結構長い!」という秀逸なキャッチコピーにだまされている場合ではありません。
 生きているうちがまさしく「花」です。

 そんなことを思っていた、土曜日の夜でした。
 家に閉じこもっているほうが疲れますね。

 

Posted by kato takao at 2005年05月08日 05:30 | TrackBack
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