僕が僕のことを好きな理由は、やりたいと思ったことをかならず実現するところです。
音楽がやりたいから音楽をやっていて、文章を書きたいから文章を書いていて、自分の雑誌を作りたかったから、自分の雑誌を作りました。
デパートの屋上でライブイベントをするというのは、どうも5年ほど前から思いついていたようで、先日ゆーきゃんにこのイベントのことを説明したら、「ああ、昔からやりたいっていってましたもんね」といわれました。
僕はもうずっと前からデパートの屋上でライブをしたかったのだ。
すさまじい睡眠不足のまま、イベントの当日がやってきて、僕はタイムキーパーをしながら、たくさんのイベントスタッフ(つまりSCRAPスタッフ)に簡単な指示を出していました。
それにしても、このイベントスタッフは信じられないくらいクオリティーが高かった。新しいイベントを自分達が作っている喜びを、とても上手に体で表現していたし、自分達にやってきたラッキーを目を見張るようなすばらしさで受けとめていました。
ステージを作って、飾りの風船を膨らませて、販売用ビールが持ち込まれて、スピーカーとミキサーを持ち込んで、ギーアン、ベーアン、ドラムセットを屋上に上げて、看板を取り付けて、道筋を示すポスターをそこら中に貼って、PAさんと打ち合わせて、時計をにらみながらリハーサル。アーティストを迎えに行き、フリマ出店者を迎え、必要な机といすを運んで、アーティストの物販ブースと、ビール売り場と、フリマ用の受付を作りました。
プラッツ近鉄は百貨店なので、お客さんが通るところをフリマの出店者やアーティストやスタッフが通るわけにはいけません。なので、そのための導線をつくり、人を配置して、うまく人々がこの屋上にたどり着けるようにしました。
リハーサルが終わって、本番前の時間に、スタッフがチラシを配りに行ってくれました。
僕は「よろしく」といって、背中を見送ったけど、突然、すごい不安がやってきました。
この僕のエゴから始まったイベントが、まったく誰からも支持されずに、一人もお客さんがこなかったらどうしよう。会場を提供してくれたプラッツの人や、フリマを出店してくれているお店の人や、出演を快く引き受けてくれたアーティストの人や、こんなに一生懸命働いてくれるスタッフ達に僕はなんて言い訳したらいいんだろうと思っていました。
前例のない事を思いつくことはそんなに難しい事ではなく、それを実行に移す事もそんなにむずかしいことではない。例えばどこかから大量の借金をして、むりやりやってしまえば理論上は可能だ。
でもそれをあらゆる意味で「成功」させるのはものすごく困難で、すさまじいストレスがかかることです。
僕がそのときに感じた不安は、別にそのときに始まったわけじゃなく、この二ヶ月間僕につきまとった感覚です。
「絶対にすごいイベントです!」といろんなところで、いろんな人に話したけど、99%成功するであろうイベントの1%を思わないなんて僕には出来ない。
13時になって、イベントがスタートして、お客さんがぽつぽつやってきて、ステージを見守っていました。演奏は14時からだったのだけど、遠巻きにステージを見ている人達をみて、僕は少しだけほっとしました。少なくともこの人達は、このイベントを楽しみにしてくれている。
14時にメキシコタクシーの演奏が始まって、空は相変わらず青くて、SCRAPスタッフはチラシ配りを終えてステージ周りに集まって、お客さんが釣られるように柵を乗り越えてステージに集まり、京都タワーがこの30年でもっとも美しく見えて、イベントが動き出しました。
僕の仕事はここまでだと、僕は思いました。
できることは全部やって、イベントが動き出したら、あとはアーティストとお客さんがこのアートを完成させるのでしょう。僕はそうなるための準備をして、それだけだ。後はどうにもならない。
幸せそうに演奏する人と、会場に入ってきてびっくりする人の顔と、音に合わせて少しづつ体を動かすお客さんを見ながら、僕はビールを一本だけ呑みました。
泡がのどを滑っていき、胃にたどり着いたとき、僕は心から「やった!」と思いました。
耳の中で、ものすごいファンファーレが鳴り響いていました。、確信的な勝利の音でした。こんな音楽が、もしも人々のもとへ届けられたなら、死んでもいいやと思うようなすばらしい音楽。
僕は安心して、力が抜けて、「よかった、よかった」とつぶやきながら、一人だけでその幸せに浸っていたけれど、もう立てないくらい疲れていて、会場の隅で座りこんでしまいました。
どうやら、僕はひどい顔をしていたようで、たくさんの人達に心配されました。
でも、もう大丈夫。
後は、僕は歌を歌うだけだから。
音楽は絶対に僕の味方で、いついかなる時だって、ひとたび僕がステージに立てば、それで最高だから。だから、みんなそんなに心配しなくても大丈夫ですよ。
イベントが進み、ロボピッチャーの出番まで1時間くらいになったときに、SCRAPのスタッフが僕のところへやってきて、「ロボピッチャーのために、チラシを配って、一人でもたくさんのお客さんを集めてきますね」といいました。
僕は「ありがとう」といったけど、これは、なんて、幸せで、そして残酷な言葉なんだろうと思いました。僕は、彼女の言葉を聞いて、実はずいぶんと感動してしまったのだけど、それと同時に、今日はどうやら「いつもより良い演奏」をしなくてはならないのだ、と知りました。
ふと、ある夜に思いついたのです。
デパートの屋上って、なんでもっとみんな使わないのだろうと。
あんなにステキな場所が、ほったらかしになっていて、「もっと新しい事をしたいんですよ」とか言っている似非アーティスト達は、自分の部屋に閉じこもって自分のための作品を作っているその時間に、なぜあの場所をもっと使わないのかと。
僕の言葉と思いつきは、人と人とを伝わって、今この場所で、たくさんの人達が楽しんでします。言葉はイベントになり、いまやフェスティバルになっています。
そうか。
と僕は思いました。
そして、そのイベントの最後に僕が、きちんと終りの合図を鳴らさなくてはならないのだな。
つまりそれは始まりの合図だ。
きっと、彼女の配ってくれたチラシが、人の手に渡った時に、もう意味は生まれていて、その一瞬のコミュニケーションのためにすら、僕は歌わなくてはならないのだ。
ここにいる人達が、半信半疑で押したエレベーターの「R」の数だけ、僕らは「いつも」よりも良い演奏をする義務があるのだと思いました。
心が震えていて、どうしようもなくて、ギターを持つ手も震えていたのは、果たして、前日から重い荷物を持ち続けたからなのか、どうのか。
ステージでセッティングをしているメンバーを見て、ああ、そういえば、この人達もこんなことに巻き込んでしまったんだな、と思った。そして、少しだけ笑った。
ロボピッチャーの演奏が始まって、僕はディストーションをいつもより少しきつめにかけながらAmを弾いた。叩くみたいに弦を弾いて、わかった。今日のロボピッチャーはすばらしい。
ちらりとありちゃんを見たら、向こうも見ていて、少しだけ笑った。
アンコールがあって、夕暮れ時を待ちながら「夕暮れ時を待ちながら」を歌って、初めて、この曲の意味がわかった気がした。この日のためのこの曲を作ったんじゃないかとまで思いました。
夕暮れ時を待ちながら、僕はどこへ君と行くんだろう
そんな激しい期待。もちろん不安。でも、確信。
うつくしいものは世界にきちんと存在していて、しかもそれは、なおもすばらしい事にすぐに終わってしまうのだ。
正しい事も、正しくない事も抱えて生きていこうと思った。
ここで起こったすべての事を忘れませんように。
僕に出来るすべての力を駆使して、今起こっている可能性を守っていこうと思った。
京都タワーがこっちをみてあざ笑っているみたいだった。
京都の長い歴史の中でも、京都タワーに向かって演奏したバンドは、きっと今日出演した5組だけだろうね。
ステージの上から「ありがとう」といったけど、イベントのスタッフには言わなかった。
僕の一番のありがとうは、SCRAPのスタッフに向けられていたのだけど、それはなにか別の言葉が必要な気がした。
それを探していたけれど見つからなくて、打ち上げの会場でもわからなくて黙っていた。途中で僕はほんのビールニ杯で崩れ落ちるように眠った。打ち上げの途中で眠ったのは初めてだ。
打ち上げは11時過ぎに終わって、僕はFLUIDの太田君とイベント用に借りたギーアンを返しに行った。その時電話がなって、友人から「桜を見に行こう」と言われた。
もちろん、僕は疲れた体を引きずって、鴨川に桜を見に行った。ビールを飲んで、今日あったことを話した。
4時くらいまで飲んで、それでも、体が熱くて、眠れなかったけど、レコード会社の人にもらったフィッシュマンズのベストを聞きながら眠った。
目が覚めて、体中がだるくて、顔が日焼けでひりひりした。
シャワーを浴びて、服を着替えて、台所でコーヒーいれているときにわかった。
昨日スタッフにいえなかった言葉だ。
「これからもよろしく」
そうだ。なんか、一緒に、いろんな場所へ行きたいと思ったのだ。
いろんなことをやろう。この、ばかばかしくてすばらしいお祭りを、もっとステキな、もっとばかばかしいものにしていこう。
どこまでいけるかな?と自分に問いかけると、いつも「宇宙の果てまでも」という言葉が浮ぶ。
うん。宇宙の果てまでもいけるかもしれない。
それに、今こうしてキーボードを叩いている僕の部屋から宇宙の果てまでの間に、もっとたくさんのすばらしくも愛しい場所があるはずだ。それを探しに行こう。ここから一番遠い場所で、一番面白い事をしよう。そして、自分達の心こそをまず豊かに。
いつも、どんなムーブメントも、今が始まったばかりで、軌道に乗ることなんてない。
僕らは、いつまでも安心なんかしないで、幸せになんかならないで、歓喜の瞬間を追い続け、あいかわらずひどい不安感と戦いながら、宇宙の果てを目指すのでしょう。
よかったら一緒に行こう。
ありがとう。
ありがとう。
これからもよろしく。
http://www.scrapmagazine.com/
Posted by kato takao at 2005年04月11日 03:10 | TrackBack僕もあの後一人で桜見にいってました。
これからもよろしくっす。
Posted by: PAの人 on 2005年04月11日 03:40ありがとう。
Posted by: 38K on 2005年04月11日 04:30次回も楽しみ。ありがとう。
Posted by: にゃあ on 2005年04月11日 08:49デパートの屋上で感じた幸せは今までに感じた事のないものでした。
こんな経験をさせてくれた全てのモノに感謝したい。
これからもSCRAPと一緒に色んな場所へ行き、普通では感じられないものに触れてゆきたいです。
よろしくお願いします。
Posted by: ふじまみ on 2005年04月11日 08:54わしのmixi日記ユルさ全開だけど
もちろんスタッフの人たちあっての
good relaxin'なのよね。
わかってますってば!(笑)
感謝感謝。
Posted by: 米ナス on 2005年04月11日 09:12からだを揺らしながら、音にぶつかりながら、上を見ると真っ青でしたね。
空って何なんじゃろう、と思いました。
もしかしたら触れるかもしれん。
触ったらぶよぶよしとるかもしれん。
あったかいかもしれん。
そう思いついたら、空恐ろしくなりました。しゃれではない。
空は生き物っぽいですね。
あーたのしかった。おつかれさまです。
Posted by: ドモン on 2005年04月11日 16:16「ありがとう」以上の感謝の気持ちを伝えたい時
ありがとう、しか見つからないもどかしさにかられる時があります。
安心なんかしません。
まだまだ未熟でどうしようもない
私の持てるだけの力を全部発揮して
SCRAPと共に成長していきたいと思っています。
おつかれさまです。
これからもよろしくお願いします。
Posted by: よしむら on 2005年04月11日 18:02今日はじめてここを見て、
はじめてこの日記を読んだ今、
頭の中が熱いです。
このかんじをワタシは焦燥と言っています。
コレカラ、ワタシ、ドウシタライインダロウ。
SCRAPブログにつまらないライブレポを書きました。
なんであんなふうにしか書けないんだろう。
書いたものをずいぶん削りました。
削ったのがよかったのかどうか、自信がなくなりました。
加藤さんがデパオクでライブをやりたいって
漠然と思っていたときと、今のワタシはほぼ
同い年ですね。そのことに気づいたら、
今かんじてる不安とか焦燥とか、
やりたいこととかが、30歳になったとき
何かになるかなって。思ったのです。
こんなふうにしか言えないですが。
これからもよろしくお願いします。
Posted by: あぶらい on 2005年04月11日 18:39デパオクイベントから何週間もの時間が
ながれたけれど、このカトウさんの文章を
読むと、デパオクの光景が浮かび、頭のなか
があの場所へとトリップします。
初めて参加したSCRAPイベントであり、大したこと
もできぬまま。。。という思いは同じですが、
さらにいろんなこと提案しては却下され、
最後にはみんなですごいことをやってのけたい
と思います。
加藤さん、これからもよろしくおねがいします。
Posted by: ムラタエリカ on 2005年05月02日 03:51デパオクイベントから何週間もの時間が
ながれたけれど、このカトウさんの文章を
読むと、デパオクの光景が浮かび、頭のなか
があの場所へとトリップします。
初めて参加したSCRAPイベントであり、大したこと
もできぬまま。。。という思いは同じですが、
さらにいろんなこと提案しては却下され、
最後にはみんなですごいことをやってのけたい
と思います。
加藤さん、これからもよろしくおねがいします。
Posted by: ムラタエリカ on 2005年05月02日 03:52
*POSTを押しても自分のコメントが見えない場合、一度ページの更新をしてみてください。
*HTML不可です。
*アドレスは入れると自動でリンクになります。
*管理者の判断でコメントを削除することがあります。