15歳くらいのころ、ここではない場所に行きたかった。
ここじゃなければどこでもよかった。
とにかく変化して欲しかった。それが、よいことでも悪いことでもなんでもよかった。
変化。
めちゃくちゃになればいいと思っていた。システムや、効率や、流れや、ルールや、そういった類の概念がつぶれてしまえばいい。学校や、仕事や、塾や、家庭や、そういうもの。およそ、人が属さなくてはならないグループが守ろうとしている秩序が気に食わなかった。
もちろん、僕は何もしなかった。
そんなことで、目立ちたくなかったし、なにより、その能力がなかった。そのことを自覚していた。
おぼえているシーン。
湾岸戦争が始まるときの友人との会話。
「おもしろそうだから、戦争になればいい」
たしかにそう思っていた。
結果、確かに僕らはそのエンターテイメントに興奮し、新しく登場するボキャブラリーやセンテンスを使って非日常を楽しんだ。
当時の日本のメディア同様に。
いかに面白く「パトリオット」「フセイン」「クェート」などの単語をアレンジできるかが勝負だった。
その結果人が死んでいることも理解はしていたが、所詮対岸の火事だった。死ぬのは僕らじゃない。
第一、自分の命の値段が暴落していた。
今。
今、僕が思うことは、どうかな。
今でも、ここではない場所に行きたいと思っている。
でも、その方法を僕は今は知っている。もっと、劇的で、前衛的で、誰にも迷惑をかけずに、たくさんの人達を巻き込むやり方を。
ここにはたくさんのヒントがある。
くだらない暗示が山ほどあふれていて、仄かにそこら中で明滅を続けている。
そのヒントを僕らは辿る。
そして、くずのような答えにぶち当たる。
答えはないってことを知る。
それでも、僕はヒントを集める。
ひとつひとつ丁寧にカバンに詰め込む。
その暗示は、ある一点をぼんやりと照らしている。
僕はそこに向かって歩く。
誰かと一緒に行きたい気もするし、そうじゃないような気もする。
一人だと寂しいし、複数だと鬱陶しい。
ふん。
えーと。
戦争反対。
俺も反対
Posted by: maepyon on 2003年03月17日 23:46
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