« 160 | Main | 162 »
2002年10月28日


 どうもこんにちは。

 今日、メトロに「実験室から愛を込めて」っていうイベントを見に行ってきました。
 いや、すばらしかった。音楽のよさが一杯詰まったイベントだったと思う。
 出てたバンドがすべてすばらしかったし、イベントとしての方向性も示せていたと思う。僕は個人的にこのイベントがすごく好きでした。
 まあ、僕の評価なんてどうでも良いことなのだけど、とにかくすごく素敵なイベントだったのです。

 で、イベント中ずっと思ってたのは、「なんでこんだけしかお客さんが入ってないんだろう」ってこと。
 結局、すごいものや素敵な物を探す意欲を世の中の人達が失ってしまっているんじゃないか、とすら僕は思った。

 僕は一応ミュージシャンで、まがいなりにも表現者の立場にいるので、お客さんのことを悪く言える立場ではない。
 「今日の客は乗りが悪くて最悪だよ」っていうミュージシャンはホントに心から地獄へ落ちて欲しいと思っているのだけど、それでも、もう少し人々が自分から何かを探しに行ったほうが良いんじゃないかとは思う。

 じゃあ、それはお客さんが悪いのか、といえばもちろんそんなことはないし、そんなはずはない。
 むしろ、「自分の知らない何かを探す」という物語を作り出せなかった表現者側の問題なのだ。
 だれも、つまらない物語は読みたくない。
 でも、世の中にはちょっとした物語は溢れていて、読まれるのを待っている。
 表現者と読者の間に有るこの溝はなんなんだろう。
 誰も悪くないのに、なんとなくぬるま湯につかったような日々が流れていくのは何故なんだろう。
 
 誰かがいわなくてはならない。これは間違っていると。
 この世界は間違っている。
 僕は確信してそう思う。

 もし世界が間違っているのならば、変えてしまえばいい。
 ああ、青臭いけどそう思う。そう思うってことを君はどう思う。

 そして、僕らが音楽と言うぬるい遊びをしている間に、何人の人たち死んで行くのだろうね。
 さあ、そこで「死んで行けばいいさ、俺が音楽をするために」というのがロックなのか。
 「だれかの足かせになってまで音楽をやりたくないよ」と言うのがロックなのか。さあ。
 知りたくも無い。

 ここで手を広げている。何かが落ちてきたらそれを拾おう。
 ここでキーボードをうっている。ここには電気があって、未来について思う権利のような物がある。
 で、それがあることを僕は誇って良いのか?というのが今日の議題です。

 君の隣で今日誰かが死ぬ。
 そのことに冷静でいられる人はいない。

 そのことと、今日のイベントが本当に全く無関係だといえる?
 言えるか。言えないか。

 どっちでもいいけど、それぞれのビジョンが必要だって話です。

 では。

Posted by kato takao at 2002年10月28日 03:36 | TrackBack
みんなのコメント
comment する

















*POSTを押しても自分のコメントが見えない場合、一度ページの更新をしてみてください。
*HTML不可です。
*アドレスは入れると自動でリンクになります。
*管理者の判断でコメントを削除することがあります。