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2002年06月14日


 つーか、鶴坊さんかっこいいな。できる奴はできる。
 かくありたいものです。

 しかし、セクシャルなことはリアクションがはやい。いくつかの、メールや、連絡をもらって、全体的に否定的でした。ちぇっ。

 そういえば、セックスの曲を書いたことがない。
 まあ、書きたくもないんだけど。
 「雨上がりの夜空に」みたいな名曲が書ける気配は今のところないです。

 性的な暴力について考えることがありました。
 例えば、一般的にはささやかな性的嫌がらせをされたとしても、それが本人にとって死ぬほどいやなことだったら、それは万死にも値するようなひどい行いだ、と教えられました。
 それは間違ってはいない論旨だと思います。男女を問わず、本人にとっていやなことを強制されるのは、不愉快なことだし、ひどいおこないです。

 そこまで書いて、僕は途方にくれてしまう。
 それはいったい、何について語ろうとしている論理なのか、と。
 「その人が嫌がることは、やってはいけないことだ」
 とてもよくわかるのだけど、では、主観的な意味でのいやなことが一つもない世界ってなんだ。
 主体が、何一ついやな思いをせずに生きていくために必要なのは、塵ひとつ落ちていない清潔な世界か、もしくは極限まで強い主体によることだ。

 いや、ちょっと待て、これはおかしい。僕の考えもおかしい。
 問題は、男性的な哀しみと、女性的な哀しみが違うってことなのです。
 生物学的な違いと、個性としての違いを複合的に考え、さらにはソーシャル的な視点から、現在の歪みについて認識しなくてはならない。
 その認識が可能だとして、その結果待っているものが、より良い世界なのかどうか、僕は知らない。

 歪みについて書くことはとてもつらい。
 どこまで書いていいのか自分でもわからない。
 とても話したいことがあるのです。自分の中では抱えきれないくらい。

 僕のとある知り合いがごく最近言った言葉。
 「俺は差別しつづけるよ。もうしょうがないんだ、そういう教育を受けてきたんだから」

 いや、違ういいたいことはそう言うことではない。我々の努力はどこに向けられれば良いのかということ。その結果訪れるのは確実に良い世界なのか?ということ。
 誰かの哀しみや、苦しみを正確に受けとめて、それを和らげることはとても難しく、いやむしろ不可能ではないかとすら思うのだけど、それでもそれを和らげてあげたいと望む人がいて、和らげて欲しいと願う人がいて、なぜ我々はこんなにも哀しい思いをしているのだろうね。

 まあ、とにかく、自分の中の混乱だけ伝われば今日の日記は良いです。

 鶴坊さんありがとね。いや、ほんとーーーにかっこよかったのだ。車を運転しながら、涙ぐんだのでした。
 そのうち、生で会いましょう。会える気がします。

 6/15扇町ダイスでソロライブです。6/21西院ウーララでロボピッチャーライブです。よろしくね。

 

Posted by kato takao at 2002年06月14日 03:14 | TrackBack
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