本屋さんでぼんやりとうろうろしてて、ふと「ビジネス」の棚が目に入った。
いろんな本が並んでいる。
「三年で赤字企業を20億企業に変える方法」とか「イノベーションを起こす方法」とか「ほうっておいても部下が育つ10の方法」とか。
数年前にそういう本を何冊か読んだことがあるけれど、今も心に残っている言葉は一つもない。
あまりにわかりやすい言葉過ぎて、リアリティがない気がした。
ふと思ったのだけど、企業を経営していくのはとても詩的なことなんじゃないだろうか。
誰にでもわかりやすい言葉だけでは、企業は育っていかない。
言葉にならない何かを、そっと商品に添えて、いつのまにか言葉で想像していたよりも深い場所にいる。
そういうものが指示されている気がする。
それって、詩のやくわりなんじゃないか。
だからこそ、ビジネスの棚にある本を1000冊読んだって、だれも成功する経営者にはなれない。
とはいえ詩的であることは難しい。
詩は技術だけでは書けないから、後天的に獲得するのは難しい。
じゃあ才能かといわれると、それはまあ8割がたそうなんだろうけど、それだけでもない。
才能というより指向性の違いかもしれない。
ビジネスを物理的に考える人と、詩的に考える人の違い。
とはいえ、ポエムばかり書いている社長も困っちゃいますよね。
訓示がいつも定型詩でメタファーに満ちていても困っちゃう。
金色の馬がため息をつく
彼は草を食み
月を見て
8億キロ先の
ミドリムシのことを
なめた
とか言われたら社員はどうしたらいいかわかんないよね。
うーむ。
僕がいいたいのは、もっと簡単に言うと余白のことなのかもしれない。
すべてを説明してしまわない余裕というか、すべてを理屈の箱の中に入れてしまわない優しさというか。
身の回りに起こるちょっとした偶然に身をゆだねるというか、ささやかな縁に導かれてみるというか。
思えばそんなふうに、目の前にかすかに見える細い糸にすがって、ここまで来たのだった。
僕は最近弊社の若いディレクターに「正解」を教えようとしている。
基礎を教えているつもりが「正解」を教えようとしているのかもしれない。
でも、正解なんてない。
僕にとっての正解は明確にあるけれど、それがすべての人にとっての正解ではない。
いや、ちょっと待て。
でも、僕程度の人間に「正解」を教えられて、それを信じて失敗するならそれはそいつがその程度の奴ってことか。
僕も、ささやかながら一発当てた人間なので、僕なりの「正解」を伝えるのはまあ罪ではないか。
よし、なんか結論出たぞ。
これは幻想なのかもしれないけれど、「僕だけが知っている何か」がまだある気がしている。
もはや僕は世界最高の謎解きイベントのクリエイターとは言えない。
僕よりも優秀な人たちがたくさんいると思う。
まあいるんだろう。
ただ、少し前までは世界最高に明確にいた立場として、まだ伝えられていない何かがある気はしている。
それを伝え終えたら、僕は引退して、次の何かを作りに行きたいんだけど。
来年に少し考えていることがあって、それはとても忍耐を使うことなので、そのトレーニングとしてしばらく日記をこまめに書こうかと思っている。
つれづれなるままのやつなので、つまらないとは思いますが、お暇なら覗いてみて下さい。
ご感想などは、比較的お待ちしています。
ご無沙汰しております。
「すべてを説明してしまわない余裕」でEテレの対談番組における鳥嶋さんの言葉を思い出しました。
私も人の上に立つようになって(経験年数的に、ですけど)、「全部教えない」ことの大切さや難しさを身に染みて感じています。
覚えていらっしゃるかな…
企画のワークショップで、最前列で目つきの悪かったおっさんです。
余白のこととか、説明しない余裕の部分について、大きく共感します。
IT業界というモノづくりの世界にいながら、説明しない余裕、すべての説明を必要としない余裕が持てない人達をたっくさん見て来ました。
同じモノづくりなのに、曰くIT業界はすべてが決まって無いと無理らしいです。
が、そんな人達に限って、仕事の限界点が低いですね。
モノづくりの場合、創った後の事を考えてモノづくりすれば、余白は割と見えてくるんですけどね。
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