書きたいことはたくさんあったような気がするのだけけれど、きちんと文章を書く時間を作れなかった。
一人でいる時間が少なすぎるのかもしれない。
ほぼずっと誰かといるし。
もう少し孤独が日常になれば、文章も書くだろう。昔みたいに。
少し前のことになっちゃいますが、アメリカにしばらく行ってました。
ニューヨークをふらふらして、ラスベガスでわあわあやって、サンフランシスコで粛々と仕事。
いろんなすばらしいことがあったけれど、一番印象に残ってるのは行きしなの飛行機の中で思いついたちょっとしたアイデアのこと。
これでもう今年のZEPPは最高になる!と思って興奮した。
今年のZEPPツアーはすごいことになりますよ。
あと、弊社松田と二人で食べたニューヨークの朝ごはんが忘れられない。
お店の装飾や、トイレの雰囲気や、出てきた料理のディティールまで覚えてる。
あのときの会話はまるで予言のようで、美しい時間でした。
最大の衝撃はアメリカ近代美術館で訪れた。
積み上げられた膨大な熱量がそこにあった。
アートのことを信じていなかったけれど、この熱量を目の当たりにしたら信じざるを得ない。
もっとやらなくちゃと思った。
僕はただ仕組みを作っただけで、今熱量を投下して何かを日々生み出しているわけじゃない。
もっと自分の手でたくさんのものを生み出さなくてはと思った。
ピカソとかモネとかウォーホールとかそういう人たちってちゃんと存在していて、ちゃんと筆を握って、キャンパスに熱を叩きつけたんだな。
そういうのって、どこか遠いここじゃない場所で行われていたのかと思っていたけれど、きちんと現実の場所で、この世界の時間軸の中で行われた「熱」であることを確認した次第。
僕も、その熱の中にいたい。
飛行機の中で見た「The judge」という映画がなかなか面白かったのだけど、その挿入歌で流れていたボン・イヴェールって人の音楽にめちゃくちゃ惹かれて、今毎晩聴いている。
とても静かな音楽だけど、爆音で聴きたくなる。
静かな暴動がここにはあって、有を生む無の存在を証明している。
世界は静かに変わっていくのですよ、お嬢さん。特別な日に特別な何かがあって一変するのではありません。
静かに、確実に、少しずつ変わっていくのです。
今日は世田谷文学館に「岡崎京子展」を観にいく。
いろんな都合であまりゆっくり観られなかったけれど、濃密な空間でした。
泣いている人がいて、そっと目頭を押さえる仕草がスローモーションみたいだった。
ここにもまた熱量がいて、「なあお前は次になに作るんだよ!」って問いかけられてるみたい。
さあ、そんなことをいわれても知りませんよ。
「作る」ってなんだろう。
作ることがずっと日常だったけれど、少し「作る」から距離をとるとそれはとても不思議に見える。
マーケティング?ブランディング?戦略や同時代性。
もっとむき出しの何かでいられ続けられないだろうか?
もっと浅はかで愚かで誠実な何かでいられないだろうか?
僕の指はAM7thを押さえるよりも、会計データをチェックすることに慣れてしまった。
何かを考えていたい。
何か書いていたいし、いつも話していたい。
誰も思いつかないことを思いつきたいし、まだここにはないものを作りたい。
圧倒的にすごいものを作りたいのだ。
批評家面した似非野郎が一言もしゃべれなくなるようなすごいものを。
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