京都に住んでいた頃は、よく夜中の二時とか三時とかに本を買いに行った。
北大路通り沿いに24時間やっている本屋さんがあって、そこには週に二回ほど行っていた。
真夜中の本屋さんにはドラマがある。
夜中の二時にファッション雑誌を読みふける若い女性にはどこかしら哀愁が漂うし、20前後のもてなさそうな男子がマンガコーナーをぶらついてると、昼間の何倍も危機感を持てといいたくなる。60代の男性がカメラの雑誌で「女の子を上手に撮る方法」みたいな特集を読んでいると、勝手にいろんな物語を考えたくなっちゃう。
もちろん僕も、何者でもなく、ただ本屋をぶらついていた。
曲を作っている最中に行き詰って外に出ることが多かったから、音楽雑誌の前でよく立ち止まった。
お金がなかったからなるべく立ち読みで済まそうとした。
あの頃欲しい本が山ほどあったのに買えなかった。
今は買おうと思えば買えるのに、そんなにほしい本がない。買っても読む時間がないからなあ。
三ヶ月くらい前にふと「俺ってぜんぜん最近文化に触れてないなあ」と思った。
映画を見ることもなく、本を買うこともなく、演劇を観にいくこともない。
ずっと仕事をしてて、あとは飲んで眠っている。
もちろんまったく触れないわけじゃないけれど、僕が触れるものの90%以上が仕事絡みか、仕事に役立つ可能性があるものになっていた。
こんなのやだなあと思って、いろいろ読んだり観たりするように心がけている。
心がけてそんなことするもんでもないんだろうけど。
ほんの数年前までは、自分のための時間が無尽蔵にあった。
むしろ人生ってのは暇をどう潰すかを考えるためのものであった。
でも今は、友人とちょっと飲むだけでもずいぶん調整が必要になる。
悪いことだけじゃないけれどよいことだけでもない。
さっき「ミミズクと夜の王」という本を読み終わって、もう一冊本を読みたいなあと思った。
この本はいわゆる「ライトノベル」といわれるジャンルのものでさくっと読めてしまったのです。ただ、さくっと読めてしまうけれどきちんと重厚で素敵な本だったのだけど。
で、「もう一冊読みたいなあ」と思ったのが本当に久しぶりで、夜中に外に出て「まだ出会っていない何か」を探しに行きたくなるのがびっくりするくらい久しぶりで、その時の気持ちを思い出して、急に京都の夜のことを思い出した。
京都の夜は普通の夜よりも夜が深い。
東京の夜は融合してるけど、京都の夜は個別にぴきぴき存在してる。
夜の中でいろんな創造的衝動がぱちぱちぶつかっている。
けんかするんじゃなくて、ただぶつかってるだけなんだけど。
それがどこかのなにかにつながるわけじゃないんだけど。
忘れ物をね、してきたんです。
京都の町に。
取り戻しに行くつもりはないんだけど。
夜の深みの中で、ふと次に読む本をを探しに行くような、そんな心持は素敵だなあと、思ったのです。
まだ見つけてない可能性や、忘れてしまった感情を思い出したくて、外にふらりと出たあの頃のことって、多分これからしょっちゅう思い出すようなことじゃないから、備忘録です。
東京のライブハウスの帰りに何かが足りないと思っていたら、それは夜の濃さでした。メトロやnano、事務所の帰りはたいてい自転車で、いくつもの信号を無視しながら風をきっていました。夜の冷たい空気と京都のたおやかな街並みは高揚した気持ちにちょうどよかったのです。東京では、地下鉄は明るいしぬるいしで、情緒がないなと、そんなことを考えてたときに読んだので、思わずコメントを。
でもどこにいても、加藤さんのおっしゃる素敵な心持ちを持っていたいなと思います。
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