意味のない朝が来て、次に意味のない夜が来た。
なにも進まないまま、時間が流れていた。
僕は25歳で、ベッドのシーツの感触をずっと身体のどこかに感じながら生きていた。
時々起き上がって、ギターを弾いた。どこかへ連れて行ってくれるかもしれない唯一の道がそれだった。
パジャマを着替えることもなく、ギターを引き続け、言葉を捜し続けた。
25歳のとき、言葉を生み出し続けた。
抱えている塊を言葉にし続けた。
どこかに届く言葉もあったかもしれないけれど、大半は泡になって消えた。
25歳のときの物語を書きたいなと、ふと思った。
その時僕は無職で、毎日家でワイドショーを見ていた。
実家にいて、母親がご飯を作ってくれた。
だらだらとゲームをして、ふらっとネットをみて、本を読んで、時々デートをして、後はギターを弾いていた。
バンドメンバーは僕以外みんな仕事を持っていた。
練習は週に一回。
ライブは月に一回。
僕は、世界を変えるようなすごい名曲を生み出しさえすれば、今見ている風景はがらりと変わってしまうのだと信じていた。
音楽は世界を帰る。
そして、その変わってしまった世界でこそ、僕は優雅に生きるのだと信じていた。
この物語は、僕が25歳のときから始まって、25歳のときに終わる。
その時僕は週に一回か二回くらい京都のお店の取材をして、そのお店を紹介する文章を書いていた。
残りの6日か7日はごろごろしていた。
何人かのミュージシャンと、何人かの道に迷った人たちと、何人かの僕を好きでいてくれた人たちと、何人かの僕を憎んだ人たちと、とてつもなくたくさんの僕になんの興味も閉めさなかった人たちで構成される物語だ。
僕はまだ何者でもなくて、何かになるための努力もしていなかった。
ただ、今自分が抱えているギターの先に、なにか別の世界があると思ってた。
時間はゆっくりと確実に流れていた。
冷蔵庫の中の肉がゆっくりと確実に腐っていくように。
今から13年前。
2001年の出来事。
そんな物語を、ゆっくりと書いていけたらなあと思っています。
Posted by kato takao at 2014年04月10日 05:30 | TrackBack
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