ボロフェスタに行かなかった。
三日間行われた京都のロックフェス。
12年ほど前に、僕と3人の友人とで立ち上げたイベント。
僕は9年代表として関わって、三年前に抜けた。
でも、去年と一昨年はちゃんと観にいった。
今年ははじめて行かなかった。
ボロフェスタに行かなかったけれど、そこでどんなことが起こっているかはわかる。
熱狂だ。
たくさんの人たちが、大量の熱量を持ち込んで、こつこつと一つずつ手作りでものを作り、とんでもない時間をかけて流れを考え、その結果つみあがった場所にだけ訪れる特別な時間がボロフェスタには必ず訪れる。
きっとKBSホールのカーテンは開き、ステンドガラスが完璧なタイミングで顔を出し、人々はこぶしを突き上げ熱狂し、スタッフが疲れ果てた熱情に突き動かされるように場を進めていく。
あれは、僕らが作った。
でも、もう僕の場所じゃない。
今日はあまりにも天気がよかったので、新宿御苑に散歩に行った。
風が吹いていて、ジャケットを着ていても肌寒くて、木々がそこらじゅうで揺れていて、芝生を子供たちが走っていた。
靴を履いた子供が、僕に向かって歩いてきた。
僕は立ち止まって見つめる。
彼女は僕を通り過ぎて、お母さんに飛び込んでいく。
きゃあと叫んで二人は笑い合った。
風が冷たくて、手に持ったカフェオレは冷めている。
僕は、今京都で行われているロックフェスについて考えていた。
仕事があったから京都に行けなかった。
けど、選んだのは僕だ。
僕は映画の舞台で挨拶をして、テレビの収録で「謎解きゲームの作り方」について講義した。
スーツを着てネクタイを締めた。
まるでビジネスマンだなと思った。
ほんの数年前まで、酔っ払って熱狂した数百人に音楽を叩きつけていればそれでよかった。
声が届けば届くほど良かったし、空気が震えれば震えるほど良かった。
世界はシンプルで、演る人と、聴く人だけがいた。
後は笑って、酔っ払っていれば時間が流れた。
この二日間、僕は謎を作らず、司会もせず、企画を考えず、文章も書かず、歌詞も書かず、メロディーも作らなかった。
舞台で挨拶して、テレビでしゃべった。
僕がいる場所はシンプルではない。
僕はもう僕の破片を叩きつけるようなものづくりはしない。
僕の破片をかき集めて、こっそりとエンターテイメントの中に忍ばせている。
もう爆弾じゃ世界は変わらないと思ったのだ、
内側から浸み込む遅効性の毒で世界を変えてやろうと思ったのだ。
京都で行われた伝説のライブに心から敬意と嫉妬を。
俺は東京で、こっそりと幸せに生きていました。
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