夜中に洗濯をしながら日記を書いている。
明日着る服がもうなくなってしまった。
なんとなく疲れていたので、柔軟剤をいつもより少しだけ多めに入れてみた。
明日僕が着る服はいつもよりきっとふわふわしてるだろう。
いつも何かについて考えている。
謎のこととか、仕事のこととか、社員のこととか、家族のこととか、未来のこととか、過去のこととか。
時々考えることに疲れちゃって、もう止めようと思うけど、やめちゃったら何をしたらいいのかわからない。
僕は考え続けている。何かを。それがもし不毛であろうと、結果のことなど考えないで考え続ける。
一人ぼっちの人がいて、僕はその人に話しかける。
「大丈夫ですか?」
彼はこう答える
「大丈夫かどうかなんてわかんないよ。今はぎりぎり大丈夫だけど、明日はどうかわからない。でももうこれでいつまでも大丈夫だ!なんていう状態がいつか僕らにはやってくるのかな?」
考えすぎだよ、と僕は思う。そしてそう伝えてみる。そんなこと考えてるから一人ぼっちなんじゃないの?
「そうかもしれないね。でも、こんなことをまったく考えない人って世の中にいるのかな?」
彼は僕で、僕が彼だ。
思考がぐるぐるまわり、別の思考を呼んでくる。
前の思考は解決していない。
そもそも思考の目的は解決ではないのだ。
「さて問題です」と僕は言う。
「この謎が解けさえすればあなたは一生幸せです。ただし、解けなかったらずーーっと平凡です」
もしそんな問題があったとして、あなたはその問題を解きたいだろうか。
もしそんな問題があったとして、僕はあなたにその問題を出すだろうか。
もし「解けたら誰もが幸せになれるパズル」があったとして、
そんなものが果たして必要だろうか。
パズルには「解く楽しみ」以上の楽しさなんて本当に必要なんだろうか。
もし必要ならば、それは果たしてパズルなんだろうか。
幸せの意味ってなんだったろうか。
それを教えてくれる人は今はそばにはいない。
売り上げと幸せは比例しないみたいだなあ。
5年前と特に何も変わらず、不安でそして楽しい。
洗濯は現在最後の脱水に突入した模様。
ひときわ音が大きくなっている。
この後はベランダに干すという作業が始まる。
あれが嫌いなんだよな。
だれかやってくれないかな。
ねえ、これを読んでいる君がケダモノだとして。
ケダモノであるなら、次にいったい何をする?
パズルを出したり解いたりする?
それとももっと動物的に、ただ服を脱いで欲望に身を任せるだろうか。
あ、洗濯が終わったみたい。
今気づいたが、ものすごい量のビールの空き缶が目の前にある。
これって、全部今日俺が飲んだのかな。
ほんとにわかんないな。違うといいな。
では今からシャツを干します。
シャツを干すときのコツは無心になること。
考えながら干すとしわになります。
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