エヴァンゲリオン×リアル脱出ゲーム「ある使徒からの脱出」が今日終了した。
とんでもなく難易度の高い公演でした。
今日は仙台公演の二日目。
「マッド博士の異常な遺言状」
この二つの公演はちょっといろんなことを考えさせてくれた。
とてもよく出来たと思うし、この公演の成立過程もずいぶんと示唆に富んでいた。
こないだ、税務署の追及をかわす為に、過去の日記を読み返して、自分のスケジュールなどを思い返していたら、「リアル脱出ゲームについて」の個人的なテキストを見つけてちょっと感じいった。
僕が今思っていることとそんなに変わっていなくて、というよりまったくおなじで、この感じをずっとキープしなくちゃリアル脱出ゲームってだめになっちゃうよなあと思ったので、あえて以下に抜粋してみる。
自分の昔の日記を抜粋するってドンだけかっこ悪いんだと思うけれど、まあいいや。
かっこ悪くったって、過去の自分から学べるならそれもいいだろ。
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あらゆるフェティシズムがその到達点においては日常につながるように、あらゆるすばらしい性的行為が日常に還元されるように、リアルな世界におけるゲーム体験は結局些事につながる。
今ある日常の中の不条理。すぐ隣で行われているかもしれない秘事。生まれたかもしれない恋や、架空の恋に焦がれるための倒錯したフェティシズム。焦がれるよう求めるものが、ここにないという枯渇感を満たすために必要なのは、物語であると、もはや僕は断じてゆるぎない。
一時間後に死ぬという異常さ。
教訓を生まれながらにして含むゲームとしての空間。
隣にいる他人は、バックボーンを無視して強制的に協力を要求し、こちらもまたそれを望む。
この場所で、我々は生きていかなくてはならない。キッチュで、薄っぺらで、芸術的に高められたばかばかしさの中で。
あなたは脱出できただろうか。
今いる場所から。
あなたが本当に脱出すべき場所は、どこだろう。
そんな疑似体験。
どれだけ擬似を体験すれば、本当になるんだろう。
僕の愚かさが、エンターテイメントになったのです。
愚かさにも意味があると、この遊びは告げてくれているようです。
憂鬱と快楽の絶対値は同じです。
甘美な絶望はこの世で一番甘い倒錯でしょう。
理性的な堕落は存在するでしょうか?
僕は日常にしっかと立ちながら、根源的サイケデリックに落ちたいと望むものです。
脱出は、まだ遠い。
ともしびが遠くで光っている気もします。
「ある飛行機からの脱出」明日が最終日です。
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どうぞ、ずっと物語に対して、真摯でいられますようにと、願う夜だ。
「マッド博士の異常な遺言状」明日が最終日です。
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