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2011年03月22日

 10日前に東京に帰ろうとした新幹線の中で地震が起こった。
 名古屋で新幹線が止まったので、在来線で京都に引き返した。
 京都で「人狼村からの脱出」や「京都迷宮パズル」の制作をてつだって、今日名古屋で仕事をして、明日から東京暮らしに戻る。
 
 東京って今どんな感じなんだろう。
 僕に出来ることあるかな。

大阪で行われた「人狼村からの脱出」に「開催するんですか?」という問い合わせが来た。
 狼が村人を食い殺すというゲーム。
 迷わず開催した。
 考えが浅いと言われたらそうかもしれないけれど、想像力を働かせすぎて、目の前の楽しさを失うのもいやだった。自分たちが作ったコンテンツが人々を豊かにすると信じてた。

 何が正しいかわからないっていう状況を、今みんなが体感してるんだと思う。
 でも、冷静に考えて、いつの時代もいつなんどきも何が正しいかなんてわからない。
 戦争は悪であり、日常は善であるといったい誰が証明してくれるんだろう。
 決めるのはいつだって自分なはずだ。
 正しさの指標なんてどこにもない。
 正しさを振りかざす人を僕は信じない。 
 こんなときにだけ振りかざされる「正しさ」を僕は憎む。
 今発せられているのは「提言」であってそれ以上ではない。
 われわれはその中から自分の身の丈にあった「提言」を選ぶ。
 それが正しいと僕は思う。

「このイベントはこのまま開催しちゃったら批判もあるから”チャリティー”を前面に押し出しましょうか?」という提言もある。
 それだって間違っちゃいないだろう。
 でも、SCRAPとしての姿勢を打ち出すとするなら、「われわれはチャリティーのイベントはしない。」

 われわれのイベントはそれ自体に価値があり(あると思っているだけかもしれないけれど)、チャリティーイベントだから価値が上がるわけじゃない。
 われわれは、そこで生じる価値の対価としてお金を受け取っていて、それを「募金」するのは道筋がぜんぜん違っている。われわれのイベントに「チャリティーだから」という理由で来てくれるお客さんがいるのならそうするが、そうでないならチャリティーイベントに今から変える必要は感じない。
 
 しかし、われわれは募金するだろう。
 倒産しない範囲で。自分たちの身の丈にあった金額を。
 儲かりすぎたなら、儲かりすぎた分を募金する。
 その額も、時期も公開はしない。
 公開することを正しいとは思わないし、必要も感じないからだ。
 やりたい人がやりたいだけやればいい。僕らはやりたいから、やりたい分だけきちんとします。

 チャリティーは正義かもしれない。
 確かに別に悪いことじゃない。
 だけど、イベントの軸と、チャリティーっていうコンセプトがずれてるなら、それはもう別々のことを一緒にやってるだけだ。掛け算のエネルギーにはなってない。
 僕らはイベントと募金は別々にやります。
 一緒くたにして、まるで誠実であるかのようには振舞わない。
 派手に儲けて、こっそり募金するぜ。

 大阪のイベントに東京の人たちがたくさん来てくれた。
「しばらく引きこもっていたけれど、ぐっと元気になりました」と書かれたアンケートをみて、エンターテイメントのもつ可能性をもう一度かみ締めた。

 さて、何が出来るか考えよう。
 これまでずっとそうしてきたように。
 これまでやってきたことをそのままSCRAPが続ければ、世界はよくなっていくんじゃないかと僕はこっそり思ってるんだぜ。

Posted by kato takao at 2011年03月22日 03:37 | TrackBack
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