とても穏やかに正月を迎えた。
大晦日から正月にかけて、ずいぶんゆったりと遊んだ気がする。
とはいえ今年は毎年恒例の宝探しはしませんでした。
なにせ従兄弟たちの家にみんな子供が生まれていて今年は赤ん坊の泣き声がわんわんとそこらじゅうで鳴り響いていて家を空けることができなくて、宝探しは中止。
まあ、しかし、いつもながらわあわあと騒いだ。夢みたいに楽しかったな。
こうしてきちんと、一年の初めに「本当に心から楽しい体験」ってのがあって、それを骨身にしみて知っているから僕は何が面白くて何が面白くないかを自分なりに考えてこられたのかも知れないなあ。
とにかく、無条件に確実な楽しさがあるってのは、とても幸せなことです。
今年はどんな年にしようかな。
とにかく、満足だけはしないようにしよう。
手にしたものをどんどん捨てられるように。
捨ててしまったらまた次の新しいことを思いつけるから。
自分が見つけた方法や成功のプロセスを自分が一番早く捨ててしまえますように。
2009年にあらためて思ったけど、何かを作っていないなら死んだほうがましだ。
もし僕が何も作っていなかったらそれは僕じゃないから僕が殺そう。
2010年はもっとドラスティックに物を作るための基盤を作ろうと思う。
音楽とイベントと雑誌とその他のもっと面白いものを。
軽やかにいつもいろんなところに顔を出して、げらげら笑って、絶対にやりたくないことは絶対にやらないで、そのための努力はぜーーんぶやって、思いつくことを片っ端から形にしていこうと思う。
あと、正月の間ずーーーっと、これまでの歴史の中で人類は何人くらい死んだんだろうってかんがえていた。
僕の子供には僕のようになってほしくないな。
それじゃ、今年もよい年にしよう。
絶え間ないお祭りの中で生き延びよう。
じゃね。
SCRAPでロボピッチャーの加藤隆生
加藤さんは、ものを作っていて、「自分の作ったものが誰かの邪魔になったりしていないか」ということは考えないのですか。
「要らないものを作ってるんじゃないか」という恐怖はありませんか。
僕はずっとものづくりをしてきて、自分のつくってきたものにすごく疑心を持ち始めているんです。
ぶしつけに失礼な質問をしたかもしれません。
でもどうしても訊きたかったので、お訊きしました。
僕はたとえ僕の言葉が誰かを強く傷つけたとしても、僕がそれを必要と思えばその言葉を使うし、それを公開しようと思います。
傷つけるつもりじゃなかった言葉が、誰かを傷つけてしまったことはこれまでにもたくさんあるし、これからも皆無にはならないだろうけれど、明確な意図をもって僕が言葉を使うときに、それで傷つくかもしれない誰かのことを考えることはありません。
クレームのメールが来たり、悲痛なコメントをもらったこともある。その時はものすごく僕も心を痛めるけれど、削除したりはしませんでした。僕は僕の責任において言葉を発しているし、それをきっかけに起こる様々な事象はすべて抱えてやろうと思っています。たとえ誰かを傷つけてしまったとしても僕は言葉を扱うことを選びました。
なぜなら僕は僕として僕の言葉を書くことがどうしても必要だったし、それ以外のことなんて考えられないくらい体からさまざまなものがあふれだしていったからです。
僕は世の中をじっと観察して、そこに必要なものを投下するタイプのクリエイターではありません。自分の中をじーーっと見つめ続け、僕が今ここにあってほしいものを製作する人間です。それが人に受け入れられるかどうかは二番にたいせつなことです。一番大切なのは、僕が胸を張ってそれを送り出すことです。
質問の答えになっているかどうかわからないですが、お答えしました。
これからもよろしくお願いいたします。
加藤隆生
Posted by: かとう on 2010年01月17日 23:59お答えいただき、ありがとうございました。
世の中も、自分の中も、どちらも両方じっと観察することで、そこに無いものを認識して、あって欲しいという欲望が生まれ、多くの人達が幸せを感じることの出来るものを作ることが出来るのかなあ、
と加藤さんのお返事を読んで僕は、そういうふうに考えました。
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