かなり打ちのめされながら、なんとか急場をしのぎました。
「急場をしのぐ」って良い言葉だな、と今はじめて思った。なんか今の感じにぴったり。
コンクリートを切り取って、音にならないかなあと思う。
漠然に端を発する、鋭角の質量。
「冷たければ冷たいほどいいのです」バーテンはグラスを磨きながらいうけれど、そんなたわ言は一秒だって聞きたくない。
眠くて眠くて倒れそうな会議の狭間で、どうも俺はツチノコを発見した気がする。
得体の知れない何かに触れた。
純粋な楽しみと、少しの不安と、音楽への圧倒的な信頼感だ。
たしか僕は昨日、ある会議室で罵倒され、ある種の悪意を浴びた。
その夜に、宗教的な鮮やかさで復活し、今もまだ夢の中だ。
僕はまた、いくつかのものを作るだろう。
いつか君の目にも触れるだろう。
僕が触れた悪意はざらざらと心に残り、その違和感が消えた瞬間の快楽が悪意の真意を教えてくれた。
もう30代も半ば近く。
あんなに怒鳴られるとは思わなかったな。
でも、それもありがたいことかもな。
誰にも怒られないで生きてきたから、罵倒されるほどの何かが出来たって事かも知れんな。
混迷の極限を迷走した昨日を越えて、だれも予想しなかった平穏な今日を迎えた。
しかし僕らはまだ勝ちどきを上げはしない。
まだ、息の根を止めていないのだ。
負けるか、圧倒的に勝つかしかないんだよ。
さて、僕はまた、ロックンロールの残照の中にいる。
ロックの残照とはつまり、ロックのど真ん中と同義だ。
もし君が2/15に予定が空いているならそれはラッキーだ。
京都に一つお勧めのイベントがある。
『若気の至りロックフェスティバル』
http://www.nhk.or.jp/kyoto/wakage/
僕と飯田君でここまで進めた。
こっから先はイベントが勝手に走る。走る。
僕はそれについていかず、見送りもせず、追い越しもせず、早歩きで追いかける。
それはロックの未来じゃなく、音楽の可能性じゃなく、今を切り取った結晶ですらなく、ただのロックだろう。
そして、ただのロックってすげえと思ってる。
観に来たらいい。無料だし、すごいし、ロックだし。
ロックって便利な言葉だな。
いつ使っても、命が削られる。
若気の至りロックフェス、応募しました。きっと加藤さんのブログを読まなければ応募しませんでした。東京から。
エンケンさんのミルク・ティーを聴けたらいいなあ。
可能性があるのは素敵なことですね。
Posted by: so on 2009年01月28日 11:13
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