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2008年07月21日

 彼女の音源を最初に聴いたのは、あるコンピレーションアルバムだった。
 それはMETROに出ているさまざまなアーティストの音源が集められたコンピレーションだったのだけど、一人だけ別の方向を向いて、別のエンジンでアクセルを思いっきりふかしているのが倉橋ヨエコだった。

 その一曲で僕はすっかり彼女を好きになってしまい、雑誌として取材を申し込んだ。
 忙しくて取材は成立しなかったけど、とても丁寧な対応をしてくれたマネージャーさんのことも好きになった。

 その頃に出たアルバムがモダンガールで、その一曲目が好きすぎて毎日聴いていた。恋の大捜査。ワンツーパンチで捕まえちゃうよって彼女は歌った。僕はすっかり捕まってしまった。

 その直後にライブ行った。すばらしいライブだった。でも、何処かおぼつかない、焦点の合わないライブだった。そして、異常なことにそれが魅力の1つになっていた。焦点の合わなさが魅力になるなんてなんて不安定なことだろうと僕は思った。不安定さを売り物にするのはとても難しい。不安定さこそが商売になればいつか行き着くのは安定だし、その魅力は失われる。この人はどんなふうになるんだろうなと思った。

 そのライブで僕は倉橋さんのマネージャーにつくったばかりのバンドのデモ音源を渡した。
 とても美人で感じのいい人だった。

 ロボピッチャーを作って半年くらい経った時だったか。京都の巨人(体重が巨人)フカミマドカさんのイベントに呼ばれて出た。タイバンが倉橋さんだった。初めて一緒にライブをした。その日の打ち上げで、「うちからCD出しませんか?」と倉橋さんのマネージャーから言われた。
 ロボピッチャーはそのときたくさんのレコード会社からオファーが来ていたけど、結局倉橋さんの会社からCDを出した。まさかその半年後になくなるとは思ってなかったけどね。

 その後、何回か一緒にライブをした。
 話したり、メールのやりとりをしたり。
 倉橋さんはいつも倉橋さんで、まるで音楽のようだった。いつも彼女の音楽のようだった。
 その不安定さは消えることはなく、明滅を続けながらやはり増幅していった。それは魅力と同義だった。彼女にとって。

 僕は彼女がどんな人なのか語る言葉を持たない。
 挨拶と世間話くらいしかしたことがないからだ。
 彼女の音楽は知っている。それは深くて不安定な海の底から、たくさんの人の力を借りてそっと、細心の注意を払ってそーーーっと運びだされた音楽だった。そこには明確な愛があり、惜しみのない努力と、かけがえのない時間が使われていた。

 それはなんと美しい作業だろうと僕は思った。
 心からうらやましかった。
 1つの作品が世の中に出て行くために、なんとたくさんの注意事項があるのか!

 僕らのCD発売が決まるずっと前に、倉橋さんは言った。「ロボピッチャーは大丈夫ですよ。そんな気がする。」
 大丈夫ってどういう意味なんだろうな。とても確かで、とても優しくて、とてもあいまいで、結局なんだか残酷な言葉だ。

 ロボピッチャーのベースのありちゃんが倉橋さんのCDに参加したり、ツアーに参加したりもした。
 ロボピッチャーのディレクターとして倉橋さんの美人マネージャーがついてくれたりもした。
 倉橋さんの音源をプロデュースしておられる方はロボピッチャーの「たった2つの冴えたやり方」という曲でギターを弾いて頂いた。
 いろんな局面でつながっている。いろんな場所でなんかある。
 そんな人だった。

 彼女の最後のライブが今日終わった。
 今日僕は目が覚めたとき、「今日が倉橋さんの最後のライブの日だ」と思った。
 僕は彼女の関西での最後のライブの日に僕のライブが入っていたので観にいけなかった。
 最後に見たのはいつかな。思い出せない。3年くらい前のような気もするし、昨日のような気もする。

 彼女が廃業する理由はしらない。ちゃんとはしらない。
 でも、はっきりといえることは、音楽をやめるって簡単な判断じゃない。何かしら彼女なりの決意があったんだろう。魅力の根幹に不安定さがある彼女は、きっと何処かでその不安定さをもてあましていたんじゃないかな。

 そのことは、なんて哀しいんだろう。
 だれかが音楽をやめてしまうことがこんなに哀しいなんて思わなかった。
 僕もいつか音楽をあきらめるだろうか。
 ギターなんて手にしない日が来るのかな。

 彼女の最後の声はどんなだったろうか。
 ステージの上で泣き伏しただろうか。
 わかんないな。
 でも、なんか最後は堂々とやりきったような気がする。圧倒的な何かを撒き散らしたんじゃないかな。倉橋ヨエコ的な何かを。言葉には絶対に出来ないなにかを垂れ流したんだろう。

 8年の音楽生活に彼女はひとまず終止符を打ち、ロボピッチャーはでもまだ流れ続ける。
 僕らはこの場所に、いくつかのヒントを隠しているんじゃないかって思う。
 ほとんど誰にも見つからないけど、時々誰かが見つけてくれるヒント。
 そこにはとても大切なことが書かれている。他には絶対にかかれていない大切なことがここにだけ書かれている。そんな音楽を僕らはやってきたんじゃないかな。
 そのヒントがなくなっちゃう気がして、僕はとても哀しい。とても不安定だ。 
 ひとときでも長く、ロボピッチャーが続きますように。はかないヒントを1つでもたくさん垂れ流しますように。
 大切なことを大切だといえますように。それを知らない人たちにせめて伝えられますように。

 誰かが倉橋さんの人生についての詳細な伝記を書くべきなのだ。
 彼女がどうやって今に至ったかについて、誰かが克明に描き、その全24巻の異常な長編は世界265カ国で翻訳され20億冊売れるべきだ。
 僕はそう思う。彼女の生がもっと明確に意味のあるものになればいいのに。

 音楽が鳴り止んだ時に、彼女は何を思ったんだろう。
 僕は何を思うだろう。

 今日はある音楽が鳴り止んだ夜だ。
 いつかまた、流れ出すことを心から願う。

Posted by kato takao at 2008年07月21日 03:54 | TrackBack
みんなのコメント

素敵な話を有難うございます
昨日廃業ライブに行って来ました
何とも言えない気持ちです
ヨエコさんには自伝でも
書いてもらいたいですね

Posted by: 新太郎 on 2008年07月21日 11:07

ロボピッチャーも倉橋さんも好きな自分にとって、加藤さんが倉橋さんについて書いてくださって嬉しかったです。ありがとうございました。
ロボピッチャー、また東京にライブに来てくださって嬉しいです。聴きに行きます。

Posted by: 木の葉燃朗 on 2008年07月21日 23:38
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