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2008年03月11日

 2008年はなんだか死んだ人のために歌っているような気がしていて、やっとおととい生きている人のために歌った。
 歌が歌えるって素敵なことだ。ありがとう。歌わせてくれて。

 よいイベントに必要なものはなにか。
 それはたった二つ。
 根源にある熱さと、それを伝えるための力だ。
 どちらがかけても空間は存在の理由を失う。
 どちらかがないのならやめてしまいなさい。
 どちらもあるなら、他のなにもかもを失ってでもやりなさい。

 時間と空間が支配できれば良いイベントになるなんていう世迷言はもういわない。
 結局熱量と力量だ。誰かの天才的なセンスでかっこよく構築されたイベントなどいらない。
 僕らはただ誠実に愛するものを愛し、憎むべきものを憎もう。

 せめて僕らだけでも誠実であろうと願ったイベントがあり、その半ばを越えたころに彼は言った。
 「ジャンプをするときには、着地点は確認しないんだ。ごめん」
 僕は彼が倒したマイクスタンドとモニターを直していた。
 そんなきれいな言葉があるだろうかと僕は考えていた。
 マーガレットズロースがあの時に出した音のことは忘れないと思う。
 それは僕らがずっと探していた答えの一つだったから。

 最近ミュージシャンが死にますね、とあるディレクターは言い。
 そうですね、と僕は応える。
 死なないでくださいね、と彼女はいい。
 僕は、はあと応えた。
 
 死にたくないな。もうちょっと待って。いま作っている曲が流れるまでは。 

 言葉のない場所では僕は生きていられないから、ひょっとしたらテレパシーが使える君にはめんどくさいかもしれないけど、なんとか言葉で話してよ。ちゃんと伝えてくれたら、ちゃんと応えるから。君の抱えた哀しみを、僕も同じ重さで抱えるから。 
 
 嫌なことがあったときこそ目を開けていようと思う。
 目を閉じるのは誰かが離れていくときだけにしよう。
 
 映像が細切れに飛び込んできて、なんかうまくセンテンスにならない。ああ、そうだ。宇多田ヒカルのすばらしさにおれは気づいたよ。10年かかったけど、10年かける価値があったのさ。

 一昨日、僕はステージで歌っていて、僕の目の前で女の子が泣いていた。
 生まれてすぐ死んだ赤ん坊じゃなかった女の子だ。
 その幸せに気づいて欲しいと願いながら歌った僕の歌は、nanoの壁を跳ね返り僕の頭蓋骨を貫いた。
 君は気づいただろうか。
 泣きたかったのは君だけじゃない。

 春は走り出したい気持ちになります。
 多分このために止まっていたんだ俺は。

 もうすぐロボピッチャーがステージに立つ。
 もう立たないかもしれなかった。
 もうなくなってしまうかもしれなかった。
 僕は電気技師かなんかになって、いろんな人の家の電気にまつわるさまざまなトラブルを解決する男になっていたかもしれない。 
 でもロボピッチャーは生き延びた。
 死ななかったという喜びは、僕らに新しい音楽的なモチベーションをもたらした。
 恥骨が砕けるほど、僕らはこの日すごい演奏をするだろう。
  
 たぶんそれが僕らのいる意味だ。

Posted by kato takao at 2008年03月11日 04:35 | TrackBack
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