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2008年01月10日

 どうも全体的にうまくことが進まない気がする。
 ぼやっとしたりいらいらしたり時間がうまく進まなかったり。
 大体いつもそうなんだけど、こういうときこそきちんと何も我慢せずにきちんと自分の思ったとおりの自分でいよう。
 気がつくと自分以外の誰かとバランスをとっている。期待しすぎたり、必要以上に穏やかに振舞ってみたり。
 まあでもそんなの長続きしない。まずは一人に戻ろう。誰かが何か満たしてくれると思っちゃうから、いらいらするんだろう。なぜ自分のしんどさを他人と共有したいなんて思っちゃうんだろうな。

 とかいいながら、明日は久しぶりにロボピッチャー4人で会う。とても楽しみ。新年が来た感じがする。
 4人揃うのは東京ライブ以来だ。よく考えたら一ヶ月くらい誰とも会ってない。あ、伊藤君の家にギターを取りに行った時に一瞬会ったか。さあ、始めよう。ロボピッチャーの2008年がやっと動き出す。

 12日にSCRAP事務所の一階でイベントをやる。
 もうチケットは売り切れてしまったのだけど、毎日問い合わせのメールが来る。ごめん。そんなに人気のイベントになるなんて思ってなかったんだ。会話の中で謎を解いていくイベントです。もしものすごく盛り上がったら。もっともっと規模を大きくして、またやるから。

 その他、ラジオを二つ、大変に大きなイベントを1つ、チュウくらいのイベントを2つほど抱えて人生が進んで行きます。この日記を書いたらすぐ、構成台本に着手すると思われます。だって今週始めに出さなくちゃいけなかった奴をまだやってないのだ。急がねば。

 ふう、書くことがないけれど、なんか終わりたくない。
 こういう感じって時々ある。だいたい今くらいの時期にあるなあ。
 なに書こうかな。
 そうだ、思い出話を書こう。
 
 高校生の時に小説を書いたことがあるんだ。
 原稿用紙20枚くらいの短い奴。
 たいした小説じゃなかったけど、そのとき好きだった子に見てもらいたくて家まで持っていった。確か「コンテストに応募したいけど、締め切りが明後日だから大至急読んでくれ」とかいったと思う。
 彼女はすごい読書家で、カナダに留学してたことのある秀才で、字が綺麗で、とても素敵な文章を書いた。字が綺麗な人って好きなのです。僕がずいぶん下手なので。彼女に「なんか最近面白い本読んだ?」って聞くと「ジェーンエア」とか、国木田独歩とか、なんかよくわからんことを言うので、一応念の為「昨日俺はグインサーガ読んでたよ」という言葉を飲み込んだ。これはしかも中学生の時の話だった気もする。中学から高校にかけて好きだった子なのです。一回好きになったら結構しつこく好きになる男なのでした。ふふふ。
 で、とにかく、そんな子だったので、小説を読んでもらって「きゃー素敵!加藤君大好き!」なーんてことになるんじゃないかと思って、深夜にちゃりんこを飛ばして彼女の家の郵便受けに原稿用紙を放り込んだのです。
 その日の夜に電話がかかってきて、その第一声は「なかなかおもしろいです」みたいな感じだった。僕はもう大喜びで、でもその感激の感情をなんとかしどろもどろで隠して「ああ、そう」とかいった。そしたら彼女は「うん。わたしのお母さんも褒めてたし」と言った。お母さん?!お母さんに見せたのか?あの小説を。僕は君だから見せたのに、お母さんに見せたの?
「お母さんは、高校生にしては文学性が高いから、大学は文学部に行ったらって行ってたよ」
 知るか!だいたい、文学性が高いから文学部へ行けって馬鹿にしてんのか。あほ。
 ちなみに、彼女のお母さんは何処かの大学の何かの教授をしていたと思う。講師だったかな。助教授だったか、とにかく大学でなんかお金を稼いでた。だから、それなりの人だったんだと思う。今から思えば。でも、多分ほしかった言葉はそんな僕の将来のことではなくて、今君がなんて思ったかだったんだ。
 その後、しかも、誤字脱字を1時間くらいかけて丁寧に直された。
 もちろんその頃は手書きだったので、僕は一つ一つ文字を直し、清書していった。
 でも、かなりゆっくりと電話できたからうれしかったな。そんなふうに誰かと共同作業で何かを創ったのは初めてだったから。とても印象深い時間だったし、一生懸命添削してくれた彼女とそのお母さんにとても感謝したし、彼女のことがもっと好きになった。
「このページの流れはわたし好きよ」と彼女は言った。
 それは主人公が消えゆく夕焼けを見ながら、もうそれが見れなくなることを哀しむシーンで、僕もそこがすごく好きだった。っていうかそこが書きたくて書いたようなもんだった。第一僕が夕焼けを好きなのは彼女が夕焼けを好きだったからなんだ。
 僕は「ありがとう。僕も好きなんだ」といった。
 彼女は特にそれには反応せずに、次のページの誤字を指摘しだした。僕は気を取り直して原稿に赤を入れていった。

 結論からいうと、僕は彼女のことを6年くらい好きだったけど結局つき合えなかった。ちぇっ。
 さっき中学から高校にかけてって書いたけど、よく考えたら小学校5年生くらいから好きだったな。
 その間彼女は僕の友人と付き合ったり、カナダに留学しちゃったり、別の高校に行って離れ離れになったりしたけど、なんか別に普通にずっと特に問題なく好きだった。カナダに手紙を書いたら、それこそ文学性の高い返事が帰ってきて、そのたびにもっと好きになった。
 たしか、「今は自分のことをきちんと考えなくちゃいけないから、誰かと付き合ったり出来ない」って言われたんだ。高校2年生くらいのとき。僕は「わかったよ」っていって電話を切った。特に泣いたり騒いだりしなかったな。そんなことを相談できる相手もいなかったし。もちろん哀しかったけど、夕日に向かって走ったりしなかった。ただ、しんみりと深く哀しかった。その哀しみを伝える相手も手段も僕は持っていなかった。多分、僕の暗い妄想を書き綴ったノートに、心情を書き綴ったんだろう。見たくもねえよそんなの。どっかに捨てたんじゃないかな。

 もちろんそのとき書いた小説もどうにもならなかった。
 はっきり覚えてないけど、多分何かの賞に応募したんだと思う。なんの賞も取れなかった。
 あれが僕がきちんとラストまで書いた最後の小説だ。
「小説書いたら?」って過去何人かの人に誘われたことがあるけど、あれ以来書いたことはない。
 書こうとしてもなんか止まっちゃう。多分心から書きたいとまだ思えていないんだろう。そういう状況にもないんだろうな。
 
 そして、僕が記憶する限りあれが最後の片想いだ。
 セックスもキスもなかったし、手もつながなかった。
 一回だけ中学校の帰り道で偶然一緒になって帰った。
 そのときも夕焼けが綺麗で、僕は3年くらいこっそり暖めていた気持ちを伝えてしまおうかと思った。「あのー」って言い出したら彼女は「夕焼けが綺麗ね」といった。僕はそうだね、といって全部の言葉を胸にしまった。
 僕が彼女に好きだと伝えたのは彼女を好きになってから5年経ったときだ。
 彼女はとても驚いて、笑って、すこし泣くみたいな顔になって、今はそういうんじゃないっていった。まだそのときは来ていないといった。僕は、そうかそうか、いいよ。じゃあ待つよ、そのときがもし来るなら待つから、その時が来たら教えてといった。彼女はとてもあいまいにうなずいて、僕はそのときは来ないのかもしれないなと思った。そしてもちろんそのときは来なかった。
 
 彼女と僕はずいぶんたくさんの手紙のやりとりをしていたのだけど、大学生の時に全部捨てちゃった。
 必要なくなったと思ったのだ。
 思い出に価値なんて見出せなかったし、これから切り開く未来のことだけを考えていたかった。

 でも、彼女のことは本当に時々だけどちゃんと思い出す。
 今何してんのかまったく知らないけれど。

 もう五時を回ったのにまだ空が真っ暗だ。
 そしてやっとすこし眠たくなってきた。
 台本はちょっとだけ眠って起きてから書こう。
 コロボックルが待ってるから。
 それがどういった種類のものであろうと、待っている人がいるというのは生きる為のモチベーションにはなる。

 じゃね。
 読んでくれてありがと。

Posted by kato takao at 2008年01月10日 04:30 | TrackBack
みんなのコメント

いつも小説を読むような気持ちでここに書かれた文章を読んでいます。
そしていつもきゅんとなります。

Posted by: M on 2008年01月11日 08:27
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