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2007年12月15日

 東京でライブ。
 東京で仕事。いくつかの打ち合わせ。
 横浜にくるりのライブを見に行く。
 端的にいうとすごかった。音楽は本質的に未来への希望であって、今後への期待であって、つまり完成することはないし到達することもないと思っていたのだけど、横浜のくるりは何かにたどり着いてしまったように見えた。
「明日からどうやって生きていっていいのかわからない」と岸田さんも言っていたが、僕もわからなくなった。こんなライブを観た後では、どんなライブをしたらいいんだろう。

 徹底的に完成された作品の根本にあるのはたぶん狂気だと思う。
 それは完ぺき主義とかいった類のものが狂気につながるという話ではなくて、ある種の才能が社会から吹いてくる向かい風に立ち向かう時に手にする異常さが狂気だ。今この場所で健やかに生きていける人には必要ないものだ。

 ディズニーランドの完璧さを演出しているモチベーションもおそらく狂気だ。
 現実の世界に夢を現出させるという異常さを支えているのは、心のひだからもれ出てくる黒い怨念みたいなものだと思う。暗い部屋で一人で、握った手のひらを爪が食い破り血が流れ、かみ締めた歯ぐきはもはや赤色ではない。髪の毛をかきむしり、爪を剥がし、腐った匂いのする部屋の中で思い描く妄執がディズニーランドだ。だからすばらしいし、だからあれだけの人を呼び寄せる。誰かの狂気に乗っかかるのが一番楽で楽しい人生の過ごし方なのだ。

 ロボピッチャーの根底に狂気はない。
 ハラッパカラッパにはあったかもしれないけれど、ロボピッチャーにはない。
 ロボピッチャーを支えているのは理知的で、常識的な方法論だ。
 僕は次に何を選ぶんだろう。

 くるりのライブのあと一言だけメンバーに挨拶して帰る。「お土産です」っていってSCRAPを渡してきた。きっと今頃岸田君はSCRAPのどのパーティーに来るかを考えてるだろう。
http://www.scrapmagazine.com/
 どうぞ皆様、今月のSCRAPの狂ったパーティにお越し下さい。
 SCRAPは僕の知る限り、ロマンチックな狂気を体現している唯一のフリーペーパーです。

 帰ってきた京都では、ずいぶんたくさんの人たちが哀しんでいた。
 哀しんでしまえばいいです。
 なにも変わらないから。
 どうせどこへもたどりつけはしないから。
 ずっとここでたゆたって、哀しみのまま死んでいくのだから。
 だからせめてその哀しみを、これ以上ないくらい刻み付けてやればいいと思うのです。
 あなたが死んだ後にも残るくらいに。
 哀しみがなんたるかも知らない奴らに思い知らせてやれるくらいに。
 失った何かが消えることなどなく、ならば刻み付けるしかないのだと、僕は思う。

Posted by kato takao at 2007年12月15日 04:36 | TrackBack
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