ずいぶん長い時間が経ってしまいましたねえ、と僕はいい、そうですねえといった風情で彼女はうなずく。
あれからどれくらいの時間が経ったのか。
確かあの時は4人くらい死んだ。
最初はささやかな事故で、そこから連鎖するみたいに何人か死んだ。あれ?3人だっけ。
死んじゃったらビールが飲めないもんねえと彼女はいい、僕はそうだねえといって笑った。
石油ストーブがすごく臭くて、セーターがぱりぱりいってて、コンタクトレンズが乾いていて、冷蔵庫の音がうるさい部屋だった。
一回目の乾杯までは覚えてる。
それからビールの缶を開けるたびに乾杯して、10回前後の時に彼女は少しだけ泣いた。大丈夫と僕は声をかけたけれど、大丈夫なわけなんてないし、馬鹿みたいだった。どうしていいかさっぱりわからなかったので、僕は最近作った曲のついての話をしたけれどそんなの多分世界中の誰も聴きたくなんかなかっただろう。
会うのは、5年ぶりくらい?時間がよくわからないけれど、どれくらい会ってないかよくわからない。ぶよぶよしたゼラチンの中で生きてきたみたいだから、どういう風に時間が流れたのかよくわからんのです。
彼女は、まあいろいろあったからねえ、なんて言ってずいぶん強くなっていて(少なくとも強そうにはなっていて)日々の仕事がどれほど大変かを僕に話した。きちんとおなかから出ている声で、リズムがとても素敵だ。僕の鎖骨のあたりからぴょんぴょんと弾むように耳に飛び込んでくる。凛としていてそれでいてかわいらしい。
ねえ、と僕は言ってみる。恋人が死ぬってどんな気分だったの?
彼女はクスリと笑って、そんなこと普通きかないわよという。じゃあ聞いちゃ駄目なのと聞くと、別にと彼女がいうので、僕は黙って続きを待つ。
ずいぶん沈黙が流れて、でもその沈黙はとても美しかったな。コンクリートの冷たさみたいに美しかった。誰もいない森で、深夜に風が木々を揺らす音のように。その音を誰も聴いていないのだと想像したくなる夜のように。
あのね。私は正確に言うとあの時彼とはつきあってなかったの。このことは誰も知らないけど。死んじゃう3日前に別れてたのよ。だからあの時死んだのは私の恋人ではなかったってこと。へえ、知らなかった、つきあってるのだとばかり思っていたよ。そうなの。でも別れてたの。しかも理由は「ためしに他の女の人ともつきあってみたいから」よ。馬鹿みたい。ばかみたいね。ほんとに。でも高校の時から5年くらいつきあったから確かにその年齢にしては長かったのかもね、今から思えば。
ビールが、すごいスピードでなくなっていく。のどをビールが通り過ぎる感覚だけが現実みたい。
彼女の元恋人は交通事故で死んだ。そこから彼を取り巻くたくさんの人が滅茶苦茶になった。最初はちょっとした傷だった。親しい人が死ねば誰にでもつくような傷。でもそれがどんどん膨張した。恋の力がそれを増長したし、嫉妬や妬みや家族や未来にまつわるシビアな話が根底に転がっていた。
人が死ぬなんて簡単なことよ、と彼女は言った。死にたいと思ってその勇気があれば出来るんだもの。誰でも出来るわ。そうだねえと僕は言う。トイレに行きたくなっているのだけど、話が佳境なのでいけない。ぎゅっとおちんちんの先っぽを握り締める。わからないように。
ねえ人が死んだらどうなると思う?
さあ。わかんないな。消えてなくなってOFFでそれでおしまいじゃないの。
ほんと?
ほんとかどうかまではわからんよ。
じゃあもう彼はいないの?
さあ、はっきりとはわからんけどね。思念みたいなものは残ってるかもしれないけれど、それを決めるのは残されてる奴の主観だろと思うよ。
・・・沈黙。沈黙。
加藤は昔からそういう言い方しかしないねえ。
は?
みもふたもないのよ、そういう言い方すると。あんたもてないでしょ。
はあ?
もてないでしょ。
馬鹿いうな。こんなにぬぼーっとしたビジュアルの割にはもてるよ。
でもミュージシャンの割にはもてないでしょ。
むう。
ほんとのことばっかりいってるともてないよ加藤君。
あんたはほんとのことばっかり言っててももてそうだね。
まあ根がかわいいからね。加藤は根が腐ってるから。
む。
沈黙。沈黙。
どっかにいる気がすんのよ。まだ彼が。どっかに。
そっか。じゃあいるんじゃね。どっかに。いないって証明するのは不可能だからね。
ほら、その言い方がいらっとする。
いいよ別に。こうやって生きとんのじゃ。
あははははは。
あははははは。
ねえ、もう一軒呑みに行かない?
行かない。
なんで?
めんどくさいから。
どういうこと。
もう一軒呑みに行ったらめんどくさい未来が待ってるのがありありとわかるから。
せっかく今もててるんだから身をゆだねたらいいのに。
あのね。そういうことは言わない方がいいよ。
なんで?
なんとなく。
なんでよー。
酔ってるし。
酔ってないよー。
死んだ人まで抱えてセックスできないもの。
セックスするって言ってないもん。
そういえばそうね。
あほー。
でも流れの中ではありえるやん。
うわー。ほんとにあんたもてないわ。そしていくつものチャンスを逃し続けるわ。
もうええねんそれで。
沈黙沈黙。
じゃ帰るね。
え、帰るの?
だって呑みに行ってくれんし。
まあ。
行く?
行かん。
じゃ帰る。
わかった。
沈黙沈黙。
じゃね。
うん。じゃね。
タクシーを見送って、街に独りになって、すごくたくさんの人とすれ違って、ああ、あいつ死んじゃったんだなあと思った。彼女の元恋人のこと。彼は僕のことがすごく嫌いだったけど、僕の歌は何度も褒めてくれた。彼は僕に対してなんでもっと誠実に生きないんだと何度も怒った。うっとおしい男だったけど嫌いじゃなかった。
別れて10分後、彼女から携帯にメールが来た。
「あほー。また呑もう。」
「はいよ。気をつけて帰ってね」
でも多分二度と呑まないだろう。
殺人的に彼女に触れたかったけど。
僕は何か全然別のものとセックスしてしまうような気がしたんだ。
夜がもう明けそうで、外はずいぶん寒くて、彼が死んだ日みたいだった。
死ぬとかどうでもいいよなあと思ったけれど、死ぬのがどうでもいいのだったらこの世界だってもうどうでもいい。何が間違ってるかよくわかんないけれど、間違っているってことはわかったので僕は考えることをやめた。
あれからまたずいぶん時間が経った。
ずいぶん長いこと思い出さなかったことを、こないだふと思い出した。
また寒くなる。
なんか、素敵です。うまくは言えないけれども
Posted by: P on 2007年11月22日 20:35
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