高邁な夢を見てる。
尽き果てない、デジャブが連鎖していく。
これはあいかわらずか。
ギターを弾いて、企画書を書いて、仕事のテキストを書き、歌詞を書き、人と会って話し、誰も考えたことのないことを考える。
ビールをいくらでも飲める身体を手に入れた。
年に何回かそういう時期が来る。
今日は特にすごい。数えてないけれど、数えたら危険をしってしまうからやめる。
愛されたい僕たちはまずなにをしたらいいのか。
そして愛されない理由は。
はたまた、本当に愛されてはいないのか。
具体的に何かを取り上げて論じたら、いろんなところで使われてしまって面倒だと思う。いや。面倒とは違うか。まだ僕はそっちにフィールドには行きたくない。ここで僕が思うことをこつこつと言っていたいだけなのだ。
「不都合な真実」を見る。
とても凡庸な感想で申し訳ないのだけど、こんなに映像で感動したのは初めてかもしれない。今何が問題なのかを提示して、問題だと思っていない人の考えを変える。そのために必要なのは単純なデータや、真実だけではなくて、ユーモアや物語や個人の持つさまざまなファクターなんだな。
これほど完璧なプレゼンテーションを見たのは初めてでした。
見に行った方が良いと思います。
やっかいなのは「無知」ではなく、「知っているという思い込み」。
今見ないと、今起こっていることがわからなくなるんじゃないかと思うほど、今なドキュメント映画だと思います。
といっても、時代の最先端とかそういう意味じゃなくて、同時代に生きる人類の鼓動とかそういったレベルでの「同時代性」の体感。
あ、幼馴染の君。
この映画は例え神楽坂のそばがうまかったとしても見るべきだと思うよ。
上記二行は私信です。
ああ、ビールがなくなった。
余裕を持って買ったつもりだったのにな。
くそ。
まあ、なんだか見事に毎日おかしな話が舞い込んでくる。
それを今は楽しんでいる。
楽しみながら、しかもそれを全部受け流すことなく受け止めながら、でも体中から湧き出てくるメロディーが押し止められなくて、今は身体がすごく混乱している。いろんなバランスがおかしくて、とてもじゃないけれど人前には発表できないような暗い曲ができたりする。
やっぱり生き方を変えることはできないや。
僕がまともに生きようとしたら音楽が邪魔をする。
僕がずぶずぶとどこかへ落ち込んでいこうとしたら音楽が助けてくれる。
多分僕はミュージシャンではないんだろうな。音楽を探求する人間ではない。
ただ、もうずっぽりと音楽に寄りかかって生活してるってだけなんだろう。哀しいことが起こったら楽しいメロディーが脳みその中で瞬時に流れるのです。
あ、そういえば、昨日本屋さんでぼんやりと過ごしていたら、とつぜん雷鳴のように「ロボピッチャーは少女漫画的である」という啓示が下って、「これだっ!」と思った。なぜか10年以上前の魚喃キリコの本を買ってしまった。
自分の音楽を分析するのは苦手だし、必要もないと思っていたけれど、こうやって突然やってくるひらめきはきっとそれなりに大事なんだろう。
というか、実際のところどうなんだろうか。
プチマーケティングをしたいので、よかったら少女漫画が好きでロボピッチャーも好きな方は「YES」とコメント欄に書き込んでください。違ったら「NO」と書き込んでいただきたい。それだけでもいいし、もっと書きたかったらいろいろ書いてくれてかまいません。
少女漫画の定義はまかす。
ロボピッチャーはとてもたくさんの人たちに愛されたがっている。
あ、この一行はなんだかとても素敵だ。現状をすこぶるシニカルに抉り取っているようにみえる。
考えても答えの出ないことは考えないのだ。うそ。そういうことこそ考えるのが好きだ。
少女漫画で今熱いのはなんなんだろう。
NANAとかのだめとかの次。
「君に届け」か?
僕は、少女の身体にクリームをべとべと塗って、それをゆっくりと舐め取るといった風情のエロスを身体のどこにも持ち合わせていないので、倒錯した性についての言葉はそれほどもっていないのだけど、その直前までの紆余曲折については言わせていただきたいことがいくつもあるような気がする。
それは間違い電話と恋愛の相互関係であり、偶発のもつ必然であり、運命が愛を運ぶという「真実」が起こしうる悲劇の話だ。循環するオナニーが行き着く先は果たしてセックスより上か下かもしくはぜんぜん別の場所なのかっていう話だ。む?それって少女漫画的発想なのか?
まあ、いいや。
ちなみに、僕が「キャンディー」という曲を書いた時にはある種のセックスを想像しながら書いた。
その曲を書く起点になったのはありちゃんのベースライン。
やらしいベースを弾く女子ってもう生き物として完璧じゃねえか。
愛されたい僕達は
愛することを忘れたまま
エゴイスティックに生きるのでしょう。
とても負け犬のように
とても幸せなように
とても僕達であるように
「YES」
ロボピッチャーを少女漫画に例えたら
花とゆめって感じがする。なんとなく。
「YES」
少女漫画の定義は基本「りぼん」
大人になってから読むと随分変わってるのかもしれませんが。
大好きだった久住くんを加藤さんの日記を読んだある日から
今読んだらどう思うんだろう‥って思って読みかえせません(笑)
しかし谷川史子さんは今も全然OKです。泣きます。
加藤さんのおかげで「ハチクロ」に出会いました。号泣です。
ロボピッチャーが少女漫画的かどうかは分かりませんが
加藤さんはもう既にわたしの中で少女漫画です。
全てのモノには然るべきタイミングがあるのでしょう。蕎麦にも映画たどり着けずにゲームだったのは何かの力が働いていたに違いない。何故ならあれから全くゲームをしてないのだ!
これはアダム・スミス言うところの神の見えざる手ではないか。
では然るべきタイミングを待って映画を見に行きたいと思います。リバイアサーン!
あれ真面目に書こうと思ったら変になったぞ??
Posted by: IT TKS on 2007年02月19日 18:41NO
Posted by: on 2007年03月11日 20:14
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