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2006年10月14日

 洛陽を染め替えるような勢いで、紺碧の歌を歌っていたのだ。

 ボロフェスタが終わって、でもいろんな人の中で終わっていなくて、ポジティブなものやネガティブなものが消費されないまま残っていて、言葉とかが弱くて、空間がねじれていて、結局どこへも行き着けなかった人たちが相変わらずこの場所でだらだらと。

 死がすべてを定義するんだってね。
 言葉はいつだって弱く、だから僕らは死力を尽くして言葉を紡ぐ。
 僕は音楽を選び、意味のない場所で意味を探すことに意味を見出した。

 意味なんてないという絶望の中で、初めて見つかる意味があった。
 意味がないって確定したなら、そこから歩みだせる僕らだっているはずだ。

 俺は頭がおかしいのかもしれない。
 でも。
 僕は僕の皮膚で、脊髄で、反射神経で言葉を紡ぐ。
 それが作品であろうとなかろうと、僕の言葉はその程度のことだ。

 ボロフェスタは、どうしようもなくひどいイベントで。
 ただの時間の浪費で。
 近隣の住民には迷惑をかけて、たくさんのスタッフがとんでもなくつらい思いをした。
 僕らはいらいらとミーティングを重ね、何も生み出さず、疲労はその目の下に濃く。

 もしそうだったとしても、意味がなかったなんて誰にも言わすものか。
 どんな意味があったかなんて知るか。
 意味を言葉にきちんとできるのはイデアの世界での話。
 つまりそれはファンタジーの世界の話ってことだ。

 今いえることは、ボロフェスタが終わるまでは、本当に本当に今年こそ本当に、「僕が関わるボロフェスタは今年で最後だろうなあ」と思っていたけど、終わってみたらまだ出来ることがある気がしてるってことだ。

 最近友人になった知り合いがステージで言っていた。
 「大好きですボロフェスタ。そしてアイヘイト ボロフェスタ」
 その気持が、100%わかるといったら、それもまた嘘くさいかな。

 今年ほど何かを考えさせられたボロフェスタはない。
 結局のところ、僕の理想は、僕が何かを生み出し続けるということだけではないかとすら思っている現状。

 フェスティバルは終り、観念が空間に漂った。
 意味はフェスティバルに関わったすべての人たちがそれぞれ探し出し、僕ら4人が創造した空間は意味なく消えていくんだってさ。

 そのことをすばらしいと思っている。
 そのことを哀しいと思っている。

Posted by kato takao at 2006年10月14日 02:17 | TrackBack
みんなのコメント

苦労があるからこそ意味のあるイベントではないでしょうか?
毎年開催するというのも凄く大変な事だと思います。
ボロフェスタというすばらしいイベントを作ってくれてありがとうございます。

Posted by: rorokichi on 2006年10月14日 05:35
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