相変わらずレコーディング。
どんなクオリティーのものが出来ているのかなんてもうわからない。
僕らはこのアルバムの中に入り込んでいて、それを外から眺めることなんて出来ない。ひょっとしたらもう一生そんなことできないのかもしれない。残りの一生を、このアルバムの中で過ごすのかもしれない。
何人かの人と飲む。
セクシャルな話、自分探しの話、ロボピッチャーの話、SCRAPの話、アニメの話、漫画の話、差別についてやサッカーについて。ビールの前ではセックスもサッカーも同じことだ。基本的にビールを人と飲むのは楽しい。毎日二日酔いになるほど飲んでいる。それはもうきっと、尋常じゃない量なんだろう。多分。それに伴う後悔と期待感はいつものことだ。
サッカーについて。
もう、サッカーとナショナリズムについてきちんと書くことは許されないのか、と思うほど繊細な事項になっているのでしょうか。メジャーな新聞に「やはり韓国が勝つと素直に喜べない」とか書いてあると、うわあすげえ、パンクな記事だなあなんて思ってしまう僕がもう乗り遅れてるんでしょうか、この国のナショナリズムに。
学力が世界の平均を切り、異常なまでに身体能力が落ち込んでいるこの国で、こうなったら愛国心か宗教に頼るしかないんじゃないか、という説を一応となえてみたのですが、「馬鹿で体が弱くて愛国心が強い若者ってなんかやばそうだよね」という意見を聞き、なるほど、それなら馬鹿で体が弱くて愛国心も無いほうがベクトルがはっきりしてよろしい、と意見をすばやく変えた加藤でした。あれ、サッカーについてなんにも書いてないね。
日本がクロアチアに引き分け、ブラジルに完敗する過程において、それまでの狂騒的な雰囲気からやや落ち着いて諦観の念にも似た気配が漂い始めたのは、やはり日本の特筆すべき点なのではないかとぼくは思います。勝ったらうれしいけど負けたらそんなに悔しくない、っていうか負けたら興味が無くなるとういう感じを僕は受けました。違うかもしれないけど。
でも。事実、僕の周りでは第一試が始まる前までは「わあわあ」言ってた人たちが、ブラジル戦が終わるころには「サッカーって別に面白くないよね」って言い出しました。いかすぜ日本人。この国が今後どうなっていくかなんて僕には分からないし、特に興味も無いですが、少なくともこんな人たちの集まりならば滅びちゃうことは無いでしょう。千代に八千代に末永く繁栄していってほしいものです。
それにしても、僕はサッカーを時間の許す限り見ております。
時間があんまり許してくれないからそんなに見てないけど。
やはりこのスポーツはすばらしい。
まるで宗教のようにすばらしいと僕は思います。
僕らは生活の中で、そんなに足を器用に使わなくてはならないシーンはありません。
蹴る、という作業は格闘技を除けばサッカーの中でのみ使われる言葉です。
「ちょっとそこのライター取ってよ」といわれてぽいっと投げてあげる人はいても蹴ってあげる人は皆無です。
サッカーには明らかな非日常があると思います。それは音楽などの芸術っぽい物がもつ非日常ではなく、ある種の宗教的な非日常性です。「神の沈黙」に対して呪詛の言葉を投げかけた直後に、祈りをささげ、その恩恵を享受してしまえるような快楽主義的な宗教のありかたの提示だと僕は感じます。だからすばらしい。このスポーツには一点の曇りもありません。
僕はここでも何度も書いてきたとおり、小中校で野球をやっており、高校では陸上をやっていた、完全なるサッカー音痴(そして時々音楽でも音をはずして音痴と言われます)でありますが、1990年のワールドカップを中学校のテスト期間中の深夜にこっそり見ていた男子です。そんな玄人気取りの素人です。そんな立場から無責任にきっぱりと言わせていただければ、日本におけるサッカーへの興味はとてもいびつだと思います。
簡単に言うと踊らされているような気がします。
たとえるなら、冒険系のアニメにつけられた完全にラブソングなタイアップアニソンみたいな感じです。まあそれはそれで認めなくは無いですが(嫌いではありますが)必要悪だといってもいいと思います。なんか、サッカーの盛り上げ方って、作為的というか、偽善的で偽悪的というか、独善的というか、一極集中が人為的になされたというか、とにかく不自然なものを感じてしまって、ちょっとつらいです。顔にペイントを塗って、サッカーの応援をしている方たちは「いえー、俺たちは馬鹿だぜー」っていうことを明確に打ち出しておられる方々だと思いますし、おそらくそれは馬鹿であるというよりはもっとある狭域でのみ通用する「常識」であると思うのですが、問題なのはそのドラスティックな表現方法がサッカー先進国(という言葉もなんかうっとうしいですが)の物まねだっつうことです。なんかもっとあるだろう、やらなくちゃならんことが。
クロアチアとの試合で、試合終了のホイッスルがなった瞬間に会場にいた綺麗な女性が映しだされたのですが、その方が「いえーい」って感じで両手を挙げて喜ばれたんですね。もちろん、ほんの少しでもサッカーを知っている人なら、クロアチアと引き分けることが喜ばしいことなはずはありません。でも、わざわざドイツまで日本を応援しに行った方が、「いえーい」ってなっちゃってるんですよ。あの映像が世界中で放送されたなら、もう痛快なまでにサッカーを知らない人たちを放映することになったと思います。あれは、ある意味、今のこの国のサッカー事情を表した貴重な一コマだったと思うのですけど。
うわあ。
まあ、そんなことほんとにどうでもいいや。
明日はSCRAPの次号企画を個人的にもう少しつめて、次のアルバムであと一曲だけ歌詞を書いてない曲を書いて、腹筋をおそらく100回くらいはして、歩いて、先日買ったパソコンを僕の事務所にとりつけたりするはずです。ああ、パソコンをとりつけるのって好きな人世の中にいるならどうぞ連絡ください。パソコンを取り付けるの大嫌いです。もう文系男子であることを隠すのはやめてから20年ほど経っております。いまだに量子力学は「なんかいろんな粒々がバランスよく流動しているという物理学的な哲学」として認識しております。
ま、そんなこんなで。
Posted by kato takao at 2006年06月26日 04:04 | TrackBack⊂ニニニニニニ( ^ω^)ニニニ⊃ 加藤さんの日記 いつも楽しみだお
Posted by: ロキ on 2006年06月26日 18:25
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