新事務所で、こんな時間まで仕事をしてるのは珍しい。
だいたい、朝9時までには起きて、お昼ご飯の時間をのぞけば夕方6時くらいまできちんと仕事をして帰ってゆっくり、というのが生活のパターンだったけど、それは比較的優雅なスケジュールの仕事の場合だったようで、まあ、僕の常として、良い感じで仕事をしていると、別の企画を思いつき、その企画が良い感じになると別の曲が出来て、その曲がきっかけで新しいイベントがクリエイトされたりする。
問題は問題を呼び続け、どうやら悲しみはいつまでたっても悲しみのままだ。この呪われた習性。何かを得るためには何かを失わなくてはならないというのは、果たして僕だけのルールなのか、世の中全般がそうなのか。
僕は誰かを救いたいのではなく、誰かの救いを見つめていたいのだ、きっと。ころんだらたちあがって、それでおしまい。その後の彼女の幸せな人生など知ったことか、と。嘯くように思うけれど、もうわかんねえな。右目も左目もおかしくなっちゃったよ。ちょっと前までは変わりばんこにおかしくなってたのにな。
そして、そんな混迷の中から導き出した答えは、そして僕は、僕のまま、どこまでもいくのだっていうあの例のくだらない宣言だ。行けるところまで行って、いけなくなったら倒れるんだ。倒れることは怖くない。いけるはずのところにいけないことが怖いんだ。
はて、これは、僕の人生の話だったか、それとも別の誰かか。もしくは、僕と誰かの人生の話か。
ともあれ、僕は、仕事の合間に突然の白昼夢(っていっても夜中なんだけど)をみて、その業の深さを知った。
誰かを打ちのめしてすら進むのかって進めねえんだ。
じゃあ、進まねえのかってそれも無理だ。
いやだいやだでやっていけないんだったら、もうやっていかない。
だから行けるとこまで行くんだっていうこの子供の論理。
子供ってすげえ。
いつか子供が出来たらおしえるんだ。
「子供だからな。なんでもやってやりな。子供論理ってルールがあってな。なにやってもなに考えてもいいんだぜ。それがもし社会的に間違っててもな。いけるところまでいきな。行けなくなったら倒れちゃいな。立ち上がれなかったら、死んじゃいな」って俺は言う。
子供は「死にたくないよ」って言ってくれるだろうか。
もし言ってくれたら俺は続けるんだ。
「そうか。そりゃいいな。死にたくないと何度も思え。死にたくないと思うなら、死なない方法を山ほど教えてやるよ。正しく生きる方法は教えてあげられないけれど。死なない方法をたくさん教えてあげる」
そして、俺はごめんな、と思うだろう。
ざまーみろとは思わなかったことをうれしく思うだろうか。
そこまではわからない。
わかりにくい話を、わかりやすく解釈しようとしたら、余計にわかりにくくなった。
まあいいや。
とにかくもう行け。行けるところまで行け。
飛光よ 飛光よ 汝に勧む一杯の酒
我は知らず 青天の高き 黄地の厚きを
ただ見る 月は寒く日は暖かきを
とか引用してみたり。
あれ、ちょっと適当な杜撰な引用。漢字使いは間違ってるかな。でも音と意味はだいたいあってるはず。
知らねえからな。知りたいと思うんだ。
飛光よ。
黄昏の近くにこそ、朝焼けがいるんだ。
「安上がりなジャンクフードで生き延びたこと笑える権利 」
っておい。また引用だ。しかもゆーきゃんの詩だ。
これすごすぎだろう。
どうだ、すごいだろう!って誇らしくなってる俺はあってるのか。間違ってるのか。
な。
どこに行くのかな。
一番大事なのってなにかな。
人生とか、意味とか、世界とか、平和とか、愛とか。
それよりも。
今日いれたコーヒーが美味しかったとか。
たまたま鳴らしたコードがいつもより美しかったとか。
君がやけにきれいに見えたとか。
そんなのが、大切だと思ってちゃだめか。
だめだ。
そうか。
でも
だめでも行くんだ!っつう子供論理。
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どこまでも行って
行けなくなったら
倒れちゃうんだ
大丈夫
倒れたら立ち上がり
前よりも強くなるんだって、
ギャバンが言ってた。
ギャバンを知らない奴らにはわかんねえ話だよ
でも
わかりにくいのは俺のせいじゃなくて
世界のせいなんだ
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