さよならエラーをしたことがある。
中学三年生の夏。
中学生最後の試合だった。
弱いチームだったけど、毎日練習していたし、日曜日は練習試合もあったから、多分、一年間に310日くらいは練習してたと思う。
野球が好きだったのか、といわれたらどうだったのかもうわからない。
プロ野球は毎日必死で見ていたけど、自分がやるということが楽しいと思ったことはなかった。義務ってほどじゃないけど、なんとなくみんながやってるからやってる感じ。
小学校三年生から野球を始めて、サディスティックに怒鳴り散らす監督とか、異常な暑さの中水も飲めずに練習した思い出とか、グローブの皮の匂いとか、ユニフォームのアンダーシャツが肌に当たる感触とか、そういうのが積み重なって、生活の一部みたいになってて、毎日野球をする事を不思議だと思わなかった。
思えば、小学校のときもほぼ毎日練習していた。
普通の小学生は、毎週日曜日に練習するだけだけど、光徳小学校の野球クラブは、小学校の授業が終わった後、夜7時から近所の公園でトスバッティングを延々続けた。それは夜錬(よるれん)といわれ、時には機嫌の悪いコーチの鉄拳が飛んだ。
でも、小学生が夜に出歩いて、公園で必死でバットを振るってわるくない。僕らは怖いコーチにおびえながら、夜に出歩くという自由をわくわくと受け入れてもいた。
公園の中はぶんぶんとバットを振る音が響いていて、コーチが一人一人にボールを投げ、僕らはもくもくとそれをゲージに向かって打ち続けた。
公園の照明を頼りに。時々やってくるカップルを尻目に。
僕は生涯で一回だけホームランを打ったことがある。
外角低めのボールを、球に逆らわずにコンと当てたら、右中間を抜けてそれがランニングホームランになった。
僕は必死で走った。ホームラン。ホームラン。
ダイアモンドを一周して戻ってきたら、僕の息はありえないくらい乱れていた。倒れそうだった。
チームメイトがベンチから出てきて、僕の頭をみんなで叩いて祝福してくれた。やあ、なんだか、主役になった気分だよ。
次の日夜錬で、コーチに呼び出された。
「昨日のホームランすごかったな」
「はい」
「ご両親は見に来てくれてたのか」
「はい。見に来てくれてました」
「なんかいわれたか」
「まぐれだっていわれました」
「ははは。まぐれじゃないさ。すごいあたりだった。お前にしか打てないコースだった。最高だったよ」
「へへへ」
「またすぐ次のホームランを打つよ。お前はきっと」
「ありがとうございます」帽子を取って僕は頭を下げた。
結論から言うと、僕はその後4年間野球を続けたが、一本もホームランを打つことはなかった。僕はさまざまな才能を持ってはいたけど、スラッガーの才能は持ち合わせていなかったようだ。
小学校最後の試合は確か、区の大会だった。九条通りの近くのグラウンドで試合をした。優勝候補筆頭の小学校と試合をして、結構惜しいところまでいったけど、結局負けた。
僕は、確か、泣いた。
でも、それは、そのちょっと前に試合に負けたときに笑っていたら、コーチに「試合に負けて笑っているなんて、真剣にやっていない証拠だ!」といわれたから泣いたのもあると思う。
また、中学で野球をやればいい、と思っていた。
その後は高校で、大学で、そしてプロで。
永遠に僕の野球は続き、いつかもっと上手くなって、すごい球が投げられるようになると思っていた。時間は永遠みたいで、急ぐ必要はなかった。いつかうまくなればいい。今から10年以内に上手くなれば、プロ野球選手にだってなれるかも。
僕はその3年後野球をやめる決意をする。
さよならエラーをした半年後の事だ。
Posted by kato takao at 2005年08月03日 03:32 | TrackBack
加藤さんの文章をもっともっと読みたいなぁと思いました。
超短編集。とかどうでしょう。
死ぬな‥、俺。とか言いながら書いてほしーなぁ。
Posted by: うさこ on 2005年08月03日 04:25
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