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2005年01月29日

 冬が真夏のまますべてをイノセントに抱えて進んでいけばいいのに。
 進んでいかないのなら、壊れてしまえばいいのに。
 解体して、分解して、決して元の形には戻らないようにして。どんなに苦労してもそれに似た形にすら戻らないようにして。

 吐き出しても吐き出してもまだ体の中にあるのは、これは、なんだろうな。
 なくなったら困るものか。なくても良いものか。

 今思い出したが、ずいぶん長いこと眠っていない。最後に寝たのはあれはいつだったか。

 バランスはどこで保たれて、どこで崩れるのか。
 そして、崩れたらどうなるのか。
 今はどうなのか。保たれているのか。

 目の前をブンブン飛び回っている小さな虫は、これは実物のものなのか、幻影なのか。

 いいことを思いついた。
 明日はオフにしよう。OFF。ゼロ。
 なるべくなにもしないように生きていくので、それは生きていないのと同じなのかもしれない。僕は息を潜めて、気配を消して、孤独を消して、そうだな、信じられないくらいB級のアメリカのホームコメディーでも見よう。

 それから、さっきも書いたように、いくつか来ているメールに返事を書こう。書こう。

 書けなかったら、書けなかったと書こう。
 ごめんと思って、少しだけしょんぼりして、忘れよう。

Posted by kato takao at 2005年01月29日 05:34 | TrackBack
みんなのコメント

オフといえども忙しいと構わずくるのが仕事の電話やメール(携帯電話の普及により)なんかに振り回され煩悩にどっとはまりこんでしまいますとオフも結局ずーっとスイッチonなんで…

私は周りにある程度あらかじめ公言し携帯電話もオフやりたいことだけして後はんぶは頭をからっぽにすべく近場の大阪城公園の河辺でひたすらぼーっと(口は半開きなのがポイント★)します。景色見たり水鳥みたりただぼーとしています……と疲労(肉体的&精神的)もあまりかんじずあんまりぼーっとするとうまくできたもんでなにかしなくちゃ!とおもい家路につきます。

Posted by: ゆとーり on 2005年02月03日 09:31

遊ぼうよ、と小学生に言われた。

知り合いのうちの子供だ。

さっきまで、あたしの前でもじもじして、見せ付けるように母親にべたべたしていた子供。時間がたつと、彼らは大胆になる。

正直、小学生は好きじゃなかった。

自我が芽生え始めているこの子たちは、自我を包み隠すことを知らなくて、時折、こわくなる。

遊ぼうよ、と言われても、何をすればいいのかわからなかった。

この子が望んでいるような遊び相手に、なれる自信がなかった。

自分が子供のころ、何をして遊んでいたかを考えた。

うちのなかで、二人でできる遊び。

ひとりっこのあたしは、いつも本を読んでいるか、漫画を読んでいるか、絵をかいているか、だった。

この3択から、あたしはそのとき、絵をかくことを選んだ。

絵をかこう。

うん。

彼女は、自由帳とクレパスを持ってきた。

女の子。花。うさぎ。アイスクリーム。

かわいらしいものが、まっしろな紙の上に生まれる。

女の子には耳がないし、うさぎはウインクしているし、つっこみどころはたくさん。

だけど、あたしはつっこめなかった。

彼女の様子は、鬼気迫るものだった。

真剣だった。

圧倒された。

ごはんよー、と母親が呼んでも、うん、と小さくつぶやいただけだった。いや、小さくうなっただけだった。

あたしは、彼女のかたわらで、ぽつんとしていた。

彼女は、自分の世界に没頭していた。

それまで考えていた、遊ぶ、ということ。

他人と笑いあい、他人と触れあう。

他人が望む自分を感じ、ときにそれに縛られる。

あらゆる道具を駆使し、はじめて楽しめる。

彼女の遊びは、違うものだった。

彼女は、自分の世界をつくりだすことに必死だった。

なまぬるくて、すこし気持ち悪い、めんどくさい、そういう遊びのイメージは、見事に覆された。

カラオケだとか、ゲームだとか、他人だとか、お金だとか、なくても彼女は遊べるのだ。

なんにもなくても、自分がいれば、彼女は遊べるのだ。

なんて力強いんだろう。

なんにも持たないで、戦場へ向かう戦士。

そんな感じだった。

Posted by: ドモン on 2005年02月07日 17:49
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