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2004年07月03日

 彼女には右手の中指がなかった。
 なぜないのかはかたくなに語らなかったので、理由は知らないけど、とにかく彼女には中指がなかった。正確に言うと、まったくないわけではない。1cmほどの出っ張りが、人差し指と薬指の間から出ていて、その先端は軽いケロイドになっていていつも不自然につやつやしている。
 僕は彼女と手をつなぐときに、いつも知らないうちに親指で彼女の短い中指の先端をなでていた。まるで、そこにないものを確かめるように。この世界に100%の幸せがないことを確信するために。
 でも、彼女の日常生活は、中指がある人よりも優雅で、シックなものだった。僕が知る誰よりも上手に紅茶を入れてくれたし、中指がないことが必然であるように、美しく箸を使った。彼女がサトイモの煮っ転がしをスローモーションみたいにつかんだとき、僕は不意に涙が出そうになった。そこには、不在のものが確かに発信しているメッセージみたいなものがあった。たとえここにはなくても、100%の幸せはどこか遠いイデアの中に存在していると、信じたくなるような。
 さて、それでも、彼女に出来ないことは二つあった。
 一つは「ファックユー!」のジェスチャー。
 もう一つはボーリング。
 
 僕はボーリングがあまり好きではないので、そんなことは気にしていなかったけど、彼女にとってボーリングとは、自分が不完全な存在であることを確認させられる遊びだった。

 彼女の右手には中指がない。
 彼女はボーリングが出来ない。

 僕は蒼を思う。深くて、救いのない美しさを放つ蒼。
 だれも不幸ではない哀しい話。

 僕はタバコをすえないのにマッチを擦ってみた。こげた匂い。立ち上る煙。
 彼女の右手には中指がない。
 その右手は完璧なラインを描いているのだと僕は思った。中指がある奴がおかしいんだと笑ってやった。彼女はちょっとだけ困ったみたいに笑って「ありがとう」といったけど、ありがたくなさそうだった。

 世界中のすべての人の中指を切り落としていきたいな。身近なちょっとした幸せとかにすがっている人たちの中指を全部切り落としてやりたい。僕はそのためにいつも一番切れ味のよいナイフをもっていようと思うのです。あなたの中指を切り落とすために。

Posted by kato takao at 2004年07月03日 04:23 | TrackBack
みんなのコメント

薄明 にコメント入れたから見て下さいねっ。

Posted by: うちの母です on 2004年07月07日 03:53
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